ゴトビの指導はいまも血肉に

――そんな偶然あるんですか(笑)。

そこからまたときは流れて、僕は日本でコーチのキャリアを積んでいました。三浦泰年さんの下で東京ヴェルディのコーチをやっていたときに、サテライトチームを率いてエスパルスと練習試合をしたんです。

当時のゴドビさんはエスパルスの監督だったので、僕が率いたヴェルディのサテライトチームとゴトビさん率いるエスパルスが練習試合をしたこともありました(笑)。

――名将アフシン・ゴドビ監督と半年間チームで過ごしたことで、指導者として生きている経験や参考になった部分はありましたか。

クリエイティビティ(創造性)が高い。練習内容も面白かったし、戦術も独自性があった。

先見の明もあったかもしれないです。(1997年)当時3-6-1をやっていましたから。ペトロビッチさんの3-6-1は、恐らく4-4-2をやっつけるベースとして形を確立したと思うんですけど、それより何年も前にアメリカの2部(相当の)リーグでゴトビさんが3-6-1をやっていました。

当時のサッカーで3-6-1や左のシャドーとか、そういう(概念)のはなかったけど、僕は左のシャドーをやっていた。

あの人はプロフェッショナリズムみたいなものがある。友好的に話しているときは、お兄さんみたいな存在だった。すごく笑顔が暖かい人なんですけど、いざピッチ立ったらプレーに対してはすごく厳しい。僕も何度も怒られました。

通訳や指導者としてオシムさんに怒られたエピソードはよくある話なんですけど、自分が選手としてはゴドビさんに滅茶苦茶怒られました。

多分これを話すのは初めてですね。もちろんその厳しさは勝つため、プロフェッショナリズムのため。もちろん理にかなったことで怒られたんですけどね。