本人でさえこの劇的復活は想像していなかったはずだ。
19日のコロンバス・クルー戦で約1年半ぶりにピッチへ復帰したチャリー・デイビス〔Charlie Davies〕は2ゴールを上げる活躍でチームを勝利へと導いた。
昨年行われたワールドカップでのアメリカ代表入りも有力視されていた若きストライカーはリーグ1への移籍も果たし、まさにキャリアを駆け上がろうとしていた最中、突然のアクシデントに襲われた。
2009年10月、コスタリカとのワールドカップ予選を戦い終えた後、ワシントンD.C.で自動車事故に見舞われたのだ。事故の衝撃は凄まじく、乗っていたSUVは完全に叩き潰され、運転者の22歳の女性は死亡。彼自身も脳内血腫、膀胱破裂、右脚の脛骨と大腿骨、左ヒジ、顔面の骨折など重傷を負った。ドクターヘリで搬送された病院での手術は6回に及び、右脚にはチタンプレートが埋め込まれた。復帰まで12ヶ月を要するとされたが、生きてること自体がラッキーともいえるほどの深刻な事故だった。
彼の体には決して消えることのない傷跡が残ったが、デイビスは"ESPN The Magazine"でその姿をすべて公開。頭から耳にかけての傷は顔面の骨折を修復するために顔の皮膚を一旦剥がしたことを意味している。
フットボラーとしてのキャリアが終わる可能性すらあった最初の4ヶ月の乗り越え、リハビリの日々が始まった。ただ、代表チームの夜間外出禁止令を破った末の事故だったこともあり、精神的に立ち直るのは難しかったようだ。
「2ヶ月間はろくに眠れなかった。なぜ(事故が)起きたのか、どうやって起こしたのか、そのことに心が苛まれた」
「どうやって生き残ったのか? なぜ生き残ったのか? なぜ(亡くなった)女の子に家まで車で送らせたのか? なぜタクシーを使わなかったのか? いつ復帰できるのか? 前と同じ状態になるのか? 復帰したとき、みんなはどう接するだろうか? より良い人間になるためにどうすればいいだろうか?」
苦悩しつつもアスリートとしての才覚を見せ付けるようにその後も全力でリハビリに取り組んだ。5分間立っているのもやっとだった状態から・・・。常人なら歩くことさえままならないような時点ですでにジョギングをこなすなど、リハビリに一緒に取り組んだトレーナーはその回復ぶりを"ミラクル"と評した。
また、同胞オグチ・オニェウの存在も大きかったようだ。デイビスより4歳年上の代表DFはワシントンでの自動車事故の2日前にヒザの腱を断裂する重傷を負い、同じデラウェア州の施設でリハビリを行うことになった。2人はジョークを言い合ったり、復帰時期を競ったり、ともに切磋琢磨しあった。オニェウは言う。
「弟だよ。ヤツ(=デイビス)はオレの第2の弟さ。彼に対してできる限りのことをやろうとした。毎日の日々が自分自身を進歩させるんだと士気を高めたり、アドバイスしたりね」
また、デイビスを支え続けた長年のガールフレンド、ニーナの存在も大きかったという。デイビス曰く、「彼女なくして今の自分は考えられない」。