ガンを克服し現在もイングランド・プレミアリーグの舞台で笛を吹く英国人レフリー、マイク・ハルジィー氏。
50歳の氏が苦境を乗り越え復帰を果たした裏には審判の“宿敵"ともいえるあの指揮官との知られざるエピソードがあった。英紙『Independent』からの抜粋でお伝えする。
1999年からプレミアリーグで審判を務めるハルジィー氏とモウリーニョが初めて顔を合わせたのは2003年の冬。チャンピオンズリーグの試合で第4審判を務めるため訪れたポルトだった。
ポルトの対戦相手マルセイユに当時在籍していたディディエ・ドログバのプレーが印象に残っているそうだが、当時から奇才ぶりを発揮していたモウリーニョのことは特段気に留めなかったという。 「彼(モウリーニョ)がどんな人間だか知ってるでしょう。私は良識を持って至って普通に接しました」。
その後、モウリーニョがチェルシーの監督に収まってからは、二三小言を言われることこそあったものの、平穏な関係が続いた。 2006-2007シーズン、スタンフォード・ブリッジにエバートンを迎えてのチェルシーのリーグ最終戦。この試合で審判を務めるハルジィー氏がスタジアムに到着すると、モウリーニョからコーヒーの誘いを受けた。 「2人でフットボールやレフリングについて20~25分ほど話したんです」。
翌シーズンの幕開けとなる2007 FAコミュニティ・シールド 、チェルシー対マンチェスター・ユナイテッド戦ではその事を気に留めながらジャッジしたそうで、 試合後レフリングについて賛辞を受けたことを覚えているという。それから数週間後にモウリーニョはイングランドを後にした。
翌年、妻ミシェルさんが骨髄性白血病に倒れ、打ちのめさていたハルジィー氏のもとにモウリーニョからある連絡が届いた。
ミシェルさんの容体を伝え聞いたモウリーニョはポルトガルはアルガルヴェにある5つ星ホテルに一家を招待したのだ。娘のルーシーちゃんを含め3人を招待を受けたハルジィー氏は「もちろん彼がまだチェルシーにいたなら誘いは断ったでしょう。でも、どういったらいいのか。彼は言いようのないインスピレーションの持ち主なんです」。
モウリーニョがインテルの指揮官になり、マンチェスター・ユナイテッドとの対戦のためイングランドを訪れた際には滞在先のホテルにハルジィー氏が挨拶に出向いたこともあったという。
2009年、今度はハルジィー氏自身が病魔に襲われた。