「4月頃からこれは何かおかしいなと感じていたんです。でも、そのことは口にしませんでした。 とにかく、翌シーズンの準備のために気分が優れなくてもトレーニングを続けました。その夏に行われたウェンブリー・カップのトッテナム対バルセロナ戦でレフリーを務めた後、気分が悪くなったんです。それで、検査のため訪れたボーモント病院で腫瘍に罹っていることが分かりました。それは右の扁桃腺にありました」

その後、摘出手術を受けたハルジィー氏だが

「手術から目覚めた時、目が腫れるほど泣いている妻を見てあぁ私は死ぬんだなと思ったんです。 先生が説明に来るからって話す彼女の顔をみて、これはダメかもしれないと。医者には想定以上の腫瘍が新たに見つかったと言われました。 それから数日して腫瘍は背中にも転移しました。そんな時、クリスティー病院のティム・イレッジ教授を紹介されたんです。先生にレフリーとして復帰するまでにどれほど時間がかかるのか聞いた際、彼は率直に答えてくれました」

「『あなたはラッキーです。生き長らえるために一緒に戦いましょう』。そう言われました。 その翌日から化学療法を始めました。治療中、ジョセとはずっと連絡を取り合っていました。 どうして知りえたのかは分かりませんが、彼はすぐに電話をよこしたんですよ。それから3か月で体重は10キロ落ち、髪も抜け落ちました。その姿を撮って彼に送ると、『レイ・ウィルキンス(元イングランド代表MF)よりはましだね』なんて返事をくれたりね!」

その後、重病を克服したハルジィー氏は2010年3月にレフリーの適性検査をパスすると、レスター対スカンソープのリザーブマッチで見事復帰を果たした。フットボールリーグ2(4部)を経た後、昨シーズンのブラックプール対ウィガン戦で万雷の声援に迎えられて、ついにプレミアリーグの舞台へと舞い戻った。

いまは3か月おきの検査のみで問題なく過ごしているというハルジィー氏。

妻のミシェルさんの病状も安定しているそうで、娘ルーシーちゃんの6歳の誕生日も家族揃って祝うことができた。そんなハルジィー氏は自身と同様に病魔と闘うフットボーラーへの想いはひとしおのようで、心臓発作に倒れたボルトンのファブリス・ムアンバの病床を訪ね、白血病と戦うアストン・ヴィラのスティリアン・ペトロフにエールを送った。また、先頃惜しまれつつ他界したガリー・アブレット氏(元リヴァプールMF)にも思いを馳せた。

自らの身をもって病の克服を証明すべく以前にも増して懸命に職務に取り組んでいるというハルジィー氏。後遺症といえそうなのは唾液腺を痛めた影響で水分を大目に摂らなくてはならないことくらいだそう。

50歳を迎えシーズンをエンジョイしているというハルジィー氏は来るFAカップ準決勝の担当審判に指名されるのを心待ちにしている。ちなみに、ハルジィー氏はセミプロだった現役時代モウリーニョ同様キーパーとしてプレーしていたんだそう。

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