-なでしこジャパン決勝の当日朝4時、編集部から一人の男がロンドンへ飛んだ。こんな大舞台二度とないかも知れない。チケットなし、ホテルなし。電撃訪英から1週間後、無事に帰国した男が伝えるロンドン五輪の真実とは!?
オリンピックは23歳以下の世代が中心ということで、各国もベストメンバーを揃えられているかといえば難しいところだ。それでもヨーロッパの玄関口の1つであるヒースロー空港を持つロンドンだけに様々な国から人々が押し寄せていた。
イギリス人に聞いたところでは「230万人もの人がロンドン五輪のために訪れているとニュースで報じていた」そうだ。それだけにスタジアムの周りには今大会と関係がないフランスのユニフォームを見かけたり、デンマークのサポーター群がいたりとワールドカップさながらの光景を見せた。
特別活気のあったのはブラジルだ。ウェンブリー・パークの駅前には試合前5時間ほど前から楽器隊が陣取り路上ライブを繰り広げていた。メキシコ代表サポーターのそれが日本のバンド形式と同じ様な数人のグループであるのに対して10人、20人の規模であり、カメラの注目を集めていた。
【余りの見事な演奏振りに思わずビデオで録画してしまった】
■地元サポーターは自チームゆかりの選手を応援する
カーディフで行われた日本戦では、私の後ろの列にはサンダーランドのサポーターが陣取っていた。「何故、サンダーランドのサポーターがわざわざウェールズまで来たのか?」と訪ねると「韓国を応援している。チ・ドンウォンがいるからね。」と答えてくれた。私の一角は日本人サポーターが多かったのだが、彼らが小さい声で日本へブーイングを送っていたのを私は見逃さなかった。
この様にイギリス人は、自チームゆかりの選手を見ることで応援するチームを決めることが多かった。グラスゴーでは、中村俊輔選手がかつてセルティックで活躍していたことで現地の人から日本代表に対して好意的な応援があったとのことだが、各地でもそうした行為は多く見られていた。
勿論、普通の観客もいた。私と電車で隣になったイングランド人のポールさんは、私にFAの審判証を見せオックスフォード・ユナイテッドの試合を中心に笛を吹いていると教えてくれた。私が、オックスフォード・ユナイテッドは2011/12シーズンのリーグ2(4部相当)終盤(4,5月)にゴールキーパーが足りなくなり、移籍期間外にも限らず毎週の様にローンで選手を補強したことを触れると「そうなんだよ。ゴールキーパーがキャッチミスしてそのままこぼれたボールがゴールに吸い込まれたりしてね。最悪だったよ。うちの息子がプロのゴールキーパーを目指していて毎週トレーニングをしている。ゆくゆくはチームの守護神になってくれれば・・・」と語ってくれた。
それ以外にもスタジアムで仲良くなりパブへ飲みにいったブラジル人のジョゼはUEFAコーチライセンスを所持していた。彼はパラリンピック終了までロンドンに滞在し、大会を楽しみながら自分が指導するチームを探すと語っていた。過去にはスペインやポルトガルといった国にまで飛んで仕事をしていたそうだ。
この様にサッカー関係者も多く観客に見られたが、「澤以外名前も知らない」と語る現地在住邦人グループも少なくはなかったし、隣の席が応援するチームを聞いてから自分がその試合でどっちを応援するか決めるインド人もいた。良い意味で一般層にまでサッカー観戦が広がっていることは感じさせてくれた。
【様々な国の人がスタジアム内では見受けられた】
■ステレオタイプなアイルランド人
街中でも、大会期間中ということで様々な国のTシャツ、ジャージ、ユニフォームを見ることができた。スペイン、オランダ、果てはナミビアの選手ジャケットを着ている人もオリンピックパーク近くのスーパーマーケットで見かけることができた。
一番の衝撃はアイルランド人であった。アイルランド人は多くが(今大会に出場していないにもかかわらず)サッカーのユニフォームを着用し、深夜遅くにはアイリッシュ・パブで宴を開いていた。その混雑振りは外で立ち飲みをするものがあふれるほどであった。アイルランド=アイリッシュ・パブという図式は、日本人が侍や忍者ではない様に単なるステレオタイプと思っていたのだが、間違っていた様だ。
この様に世界各国のサポーターが集っていたロンドン五輪だが、一番良かったことはお互いがつたない英語を駆使しながらも仲良くなろうとしていたことだ。私もこの旅で様々な人種の人間と知り合いになれたが、特急電車やスタジアムの内部では常にこうした国際交流が開かれていた。オリンピックやスポーツを語るときに「人種や世代、言葉といった壁を乗り越えて地球規模での交流の架け橋になる」といった様なフレーズが用いられるがその言葉は単なる夢物語でないのかも知れない。