2003年、沖縄かりゆしFCを集団退団した選手やラモス瑠偉氏(沖縄かりゆしFCの元テクニカルディレクター)らが中心となり創設されたFC琉球。
チームは与那城ジョージ監督のもと2006年にJFL昇格を果たすと、その2年後にはフィリップ・トルシエ元日本代表監督が総監督に就任(実際にチームを率いたのはフランス人のジャン=ポール・ラビエ監督)。同じく元日本代表のFW山下芳輝が加入するなど大きな話題となった。
チームの方は当初、リーグの下位に低迷。レギュレーションに救われる形でJFL残留を続けていたが、2010シーズン以降は10位、9位、9位、11位と中位に定着。そして今季から、新たに創設された明治安田生命J3リーグへ参戦する。
今オフは高橋駿太(長野)、元日本代表の我那覇和樹(讃岐)という攻撃の二枚看板を筆頭に、なんと20人以上が退団。2年目の薩川了洋監督にとってはほぼ一からのチーム作りとなるだろう。なお、クラブのオフィシャルマスコットだった「ぐしけんくん(仮)」も昨季限りで退団している。
2013シーズン、タイのGrand Sportによる味わい深いユニフォームを使用した琉球。しかし、彼らとの関係は結局1シーズンのみに終わり、今季は新たに株式会社イミオとサプライヤー契約を締結した。
イミオは自社ブランド「SFIDA(スフィーダ)」を持つが、琉球の新ユニフォームは2013年に日本国内における独占的製造販売のライセンスを取得したイギリスの「MITRE(マイター)」ブランドでの提供となる。(※2012年まで「MITRE」の国内代理店だったのが、水戸のサプライヤーを務めるロイヤル。ロイヤルは現在、自社ブランドの「GAViC(ガビック)」を展開しており、この辺りはやや複雑だ)
琉球の2014モデル、クラブカラーである“ベンガラ”のホームは、2003年のクラブ創設時のユニフォームに触発されたデザイン。
当時のユニフォームは無地のTシャツに番号をプリントしただけの質素なものだったが、勝利に貪欲で、夢に溢れていた時代でもあった。
そこで、J3元年の今季、『あの頃の野心をもう一度。熱く燃える闘争心。』をコンセプトに、いずれも無地のシンプルなデザインを採用。歴史の良いところは学び、DNAは継承しつつも、誰も見たことのない未来に向かってクラブ復興を目指すことを表現している。
左から、GKアウェイ(緑)、アウェイ(白)、ホーム(赤)、GKホーム(黄)。
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