高校を卒業し仁川ユナイテッドに入団したイ・グノは、最初の危機を経験する。1軍と2軍の間を転々とした。2006年にはリザーブリーグ優勝を成し遂げMVPも受賞したが、仁川での未来は暗かった。クラブからは『入隊をするか?』という誘いを受け、繰り返し悩んだ。
グノはシン・ホジョル監督を訪ね、『○○や○○に移籍したいと思うのですが』と打ち明けた。しかし、監督の考えは違った。
『グノ、今それらのチームに行っても出場できる可能性は低い。君をよく知っている指導者がいて、一軍の試合に出られるチームに行くべきだ』
シン・ホジョル監督は、当時ピョン・ビョンジュ監督が率いていた大邱FCを推薦した。そして弟子はその助言に従い、2007年に移籍。新しい道が開かれた。
イ・グノは大邱FCに所属した2年間で57試合に出場し、23ゴール9アシストを記録。Kリーグを代表するストライカーに成長し、2009年にJリーグへと移籍。2012年に蔚山現代に加入し、AFCチャンピオンズリーグ優勝を達成、年間MVPも受賞。アジア最高レベルの選手となった。
2010年にイ・グノが落選した時、シン・ホジョル氏は多くのインタビューを受けた。教え子であるキム・ジョンウやチョ・ヨンヒョン、キム・ヒョンイルがメンバーに選ばれたが、シン・ホジョル氏は喜べなかった。最終予選で活躍したイ・グノが脱落し帰国した日だったからだ。
『グノはすぐに日本に行った。とても電話できる状況ではなかった』
週に2~3回電話をしていた師匠と弟子は、この後半年間もの間連絡を取ることはなかった。しかし6ヶ月後、イ・グノから電話がかかってきた。
『監督、脱落した当時は自分のことをとても嫌いになっていました。周りのすべてが気に入らなくなって、韓国に帰れませんでした。しかし今、全てを捨てて立ち直りました。6ヶ月ぶりに心を整えました』
『グノ、最初の自分を再び見つけよう。お前ができることはグラウンドで力を見せることだけだ。再び立ち上がろう』
シン・ホジョル監督とイ・グノは固い約束を交わした。
挫折はグノをより強くした。4年間汗を流してきたイ・グノは、ブラジルに向かう最終メンバーに名を連ねた。5月8日にメンバーが発表された際、シン・ホジョル監督の心も泣いた。29日、出国を控えるイ・グノに電話をかけた。
『4年の苦しみがグノをより強くした。楽しんでサッカーをしてくるといい。うまく行けば点も取れるだろう』
イ・グノの人生のドラマは、新しい幕を開くための準備を終えている。韓国から黙々と応援するシン・ホジョル監督は、ハッピーエンドを頭のなかに描いている。