元ミラン監督のマッシミリアーノ・アッレグリはユヴェントスのMF、アンドレア・ピルロの残留に全力を注ぐべきだったと感じているようだ。
イタリア代表としてワールドカップに参加中のピルロは3年前の2011年の夏に10年過ごしたミランを退団。フリートランスファーでユヴェントスへ移籍し、3連覇に大きく貢献している。
当時のミランを率いていたのはマッシミリアーノ・アッレグリだ。2010-11シーズンの序盤はピルロが定位置である中盤のセンターに鎮座していたが、負傷で離脱している間にマルク・ファン・ボメルがバイエルンから加入。守備も攻撃もこなせる選手としてアッレグリは重宝し、負傷から復帰したピルロは定位置ではなく、左のインサイドハーフで起用されていた。
シーズン終了後にピルロは退団を決断。2011-12シーズンはライバルであるユヴェントスが優勝。復活を手助けするような形となり、「アッレグリが退団させた」、「アッレグリがファン・ボメルを選んだ」とミラニスタは批難した。当時のことについてアッレグリは以下のように振り返っている。
「あれ(移籍)はアンドレア(・ピルロ)とクラブによる決断だった。クラブは30歳以上の選手に対しては1年以上の契約を結ばないことを決めていた」
「彼はユヴェントスや代表チームででとてもよくやっているね。いま、彼はイタリア代表で私が3年前に彼に求めたポジション(左のインサイドハーフ)でプレーしチームを助けている。しかし、みんなは(3年前に)私がおかしいと言っていたよ!」
「ピルロは偉大なチャンピオンだ。しかし、ミランは彼らの決定をしたわけであり、決定したからには後悔するわけにはいかない」
「しかし、アンドレアによる決断でもあった。私とクラブだけで決めた事ではなかったんだ」
なお、当時批難されたのはアッレグリだけではない。ピルロを手放したアドリアーノ・ガッリアーニ副会長やクラブ上層部も批難されており、ピルロも「年俸で折り合わなかった」と報じられたことも付け加えておこう。