それでも「理念」は否定できない

ただ、私の中ではジェニングスやBBCの取材チームへの称賛とともに、いくつかの疑問や違和感が浮かびました。

一番のものは、ケイマン諸島での取材です。ここはカリブ海にあるイギリスの海外領で、多国籍企業がその税金を大幅に安くするために活動する「タックス・ヘイヴン」としても有名です。ジェニングスはここに飛び、この地で進められていたFIFAの「ゴールプロジェクト」で整備される予定だった2面のサッカーグラウンドが1面に減らされ、その差額がCONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟)の会長にもなっていた同諸島サッカー協会会長のジェフリー・ウェブに入った構図を伝えました。

FIFA副会長も務めたウェブはジェニングスの取材を徹底的に拒みましたが、放映権取得の不正疑惑によりスイス司法当局により逮捕され、アメリカに移送されて、その悪事が明白になった……というわけです。

もちろん、不正は追及されなければいけません。それは絶対の大前提です。

しかし、それでも、ゴールプロジェクトでFIFAが広めようとした「理念」は、高く評価されなければならないものです。例えば、このケイマン諸島の施設がなければ、ここの代表チームは練習場所が無くなったでしょうし、若年層の育成にも重大な影響が出ます。そうだった時の状況は、FIFA未加盟で「ゴールプロジェクト」からもこぼれているミクロネシア連邦の苦境から推測できます。

「「記録的大敗」のミクロネシアをFIFAへ?-日本がアシストできるこれだけの理由」
https://qoly.jp/2015/08/03/column-nakanishi-micronesia-fifa

AFCのメンバーを見ても、「イングランド的視線」の危うさを感じます。

過去8人のFIFA会長のうち、3人はイングランド出身でした。第2代のダニエル・ウールフォール(1906-18年)、第5代のアーサー・ドルリー(1955-61年)、第6代のスタンリー・ラウス(1961-74年)。自身が始めたW杯に名前を残したフランス人のジュール・リメ(第3代、1918-54年)らを挟んで、「フットボールの母国」が主導権を握っていました。

これとAFC各協会のFIFA加盟年を見ると、特にラウス時代の「停滞」を感じます。例えばネパール。イギリスやインドの強い影響下にありながらも独立を維持していたこの国は、1955年の国連加盟より早く1951年にサッカー協会を作っていましたが、FIFA加盟が認められたのは1972年でした。モンゴルはもっと遅く、1959年のサッカー協会設立から1998年のFIFA加盟まで40年近くかかっています。アフリカやカリブ海の状況は確認していませんが、ドルリーやラウスの時には欧州と南米以外での普及には消極的だったという印象を持ちます。

だからこそ、マフィア一家の結婚式でにこやかに写真を撮るような黒さがあっても、アベランジェの「世界への拡大」に支持が集まったのでしょう。たとえその国が独裁と腐敗にあえいでいても、サッカーを愛する人がいるなら、そこにボールを届ける義務がFIFAにはあります。その理念は、誰にも否定できません。

【次ページ】英国発・欧州至上主義の波及?