以下が、かつてのボスニアの国内リーグ一覧である。

過去の国内リーグ一覧

ファースト・リーグ・オブ・フットボール・アソシエーション・オブ・ボスニア・ヘルツェゴビナ
チェリクやFKサラエヴォらが参加した。1994年から2000年まで行われた。

ファースト・リーグ・オブ・ヘルツェグ=ボスニア
NKシロキ・ブリイェグらが参加した。並行してヘルツェグ=ボスニア・カップも開催されていた。1993年から2000年まで行われた。

ファースト・リーグ・オブ・ザ・リパブリカ・スルプスカ
ボラツ・バニャ・ルカらが参加した。1995-2002年まで行われた。

合計3つの国内リーグが生まれ、それぞれがチャンピオンを決めるという異様な形ができあがったのだ。

この頃、ボスニア代表は単一の民族で構成されていた。セルビア、クロアチア側の選手はほとんどがそれぞれの国のリーグ、代表を求めた。

UEFAなどにより和平の道は模索された。1997-98シーズンより、ファースト・リーグ・オブ・ヘルツェグ=ボスニアとファースト・リーグ・オブ・フットボール・アソシエーション・オブ・ボスニア・ヘルツェゴビナのチャンピオン同士がプレーオフを戦うという体制が誕生した。しかし、それでもまだスルプスカのリーグは省かれていた。

2000-01シーズンに2つのリーグが統合してプレミアリーグが誕生してからもスルプスカのリーグは除外されたままだった。2002-03シーズンにようやく3つ目のリーグが統合し、今のリーグ体制ができあがったのだ。

ちなみに、サッカー協会はその後もごたごたを続け2011年に資格停止処分となった。セルビア、クロアチア、ボスニア人が協会会長を務める状態だったからだ。それをおさめたのは正常化委員会座長を務めたイヴィチャ・オシムである。

こうした名残は今も下部リーグには残っている。2部リーグは、ファースト・リーグ・オブ・ザ・フェデレーション・オブ・ボスニア・ヘルツェゴビナとファースト・リーグ・オブ・ザ・リパブリカ・スルプスカに分かれている。つまり、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側とスルプスカ共和国側のリーグにそれぞれ分かれており、3部以下も同様に区分分けされている。

2014年にはジェリェズニチャルとFKサラエヴォのサポーターが衝突し試合が中断、20分以上のロスタイムが生まれるという事態になっている。彼らは同じファースト・リーグ・オブ・フットボール・アソシエーション・オブ・ボスニア・ヘルツェゴビナに在籍していたチーム同士だが、それでもこの熱狂ぶりである。

プレミアリーグが現在の体制になってからはヨーロッパで少しずつ勝つことができるようになってきている。統合1年目の2002-03シーズンに、ジェリェズニチャルがチャンピオンズリーグ予備選3回戦まで駒を進めた。ニューカッスル・ユナイテッド相手に2試合合計0-5と苦戦したものの歴史的一歩となった。

2002-03シーズン、アラン・シアラー(左)と競り合うジェリェズニチャルの選手(右)

以降、時折予備選3回戦、またはプレーオフラウンドなどに駒を進めることはできるが、本戦出場はまだ果たせていない。

ジェリェズニチャルは、かつて1984-85シーズンにUEFAカップで準決勝に進んだこともある名門である。歴史あるボスニアサッカーにおいて、リーグの復興はまだ始まったばかりなのかも知れない。

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