『IB Times』は、「元イラク代表FWのサヒブ・アッバース・ハッサンは、国内で代表チームが活動できる日を待っている」と報じた。

サヒブ・アッバース・ハッサンは1996~2001年にイラク代表としてプレーしていたストライカー。国内リーグで175ゴールという記録を持ち、2011年まで現役を続けていた伝説的選手だ。現役を離れてからはイラクのカルバラFCでコーチを務め、更新の育成に励んでいる。

アジアでも最も成功していたチームの一つであったイラクであるが、その後サッダーム・フセインの政権下で力を失った。そして2003年には戦争が勃発し、それから長く政治的な混乱に見舞われることになった。

このところはイスラム過激派組織ISISとの戦争も続いており、国内の多くのクラブが首都のバグダードに移転しなければならなくなった。

イラク代表チームはまだ国内の会場で試合を行うことを認められておらず、カタールやイランでのホームゲーム開催を余儀なくされている。

しかし、FIFAはこのところ徐々にバグダードだけではなくキルクークやバスラも訪問するようになり、ISISの勢力が及んでいない場所の治安状況を確認している。

そしてサヒブ・アッバース・ハッサンが住むカルバラは、夏に3万人のカルバラ・インターナショナル・スタジアムがオープンしており、国のスポーツ政策の中心地となっている。

サヒブ・アッバース・ハッサンは取材に対して以下のように話し、サッダーム・フセインの圧政時代よりはかなりいい状況になっていると語った。

サヒブ・アッバース・ハッサン(元イラク代表FW)

(1994年W杯に出場できなかった時、ウダイ・フセイン(サッダームの長男)は選手たちに『コンクリートのボール』を蹴るよう強制したと言われるね。君はどんな経験をした?)

「我々は圧力の下にあったので、いいプレーをすることができなかった。試合に敗れた場合、ウダイ・フセインが我々を罰するからだ。

1試合に負けただけでも、彼らは我々を刑務所に叩き込んだ。試合で稚拙なパフォーマンスを見せても、彼らは我々を罰した。

彼らは私を殴った。イラクの刑務所では、彼らは多くのパンチを私に見舞ったよ。

我々は最もサッダーム・フセインによって罰せられた選手だろうね。なにせ、相当多くの試合に負けてしまったからね(苦笑)」

(イラクではまだ治安が安定しないが、カルバラには3万人のスタジアムが建設され、スポーツの中心都市になろうとしているね。代表も国内でプレーできるかもしれない)

「イラクの誰もが知りたがっている。他の代表チームが、この国でプレーできるのかどうかをね。

人々がチームを支えることは、選手たちがいいプレーをするにあたって重要なものなんだ。FIFAは平和への道を助けるべきなんだ。サッカーは平和に導く役割を果たせる。すべてのイラクの人々が、サッカーをすることによってね。

サッダーム・フセインの時代は、我々は飛行機で旅をすることすらできなかった。今はヨルダンまでバスで行けば、そこから飛行機も使える。

いま、物事は遥かに良くなっているよ。地元に多くのスタジアムがある。自由もある。国をまたいで旅行もできるんだ」

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