『The National』はアハマド・リズヴィ氏による「”危機の時代のサッカー”:イラクのサッカー愛は、暴力では止められない」というコラムを掲載した。
1月に行われたアジアカップでは日本とも戦ったイラク代表。長きにわたって続いている政治的混乱によって、治安状況は改善されていない。近年ではISILの台頭にも直面し、さらに悲しみは増加している。
しかし、イラクのサッカーは依然としてアジアで結果を残し続けている。いったい何がその基盤を支えているのだろうか?
テロの標的となるサッカー
ビデオは少し不鮮明であるが、おそらくティクリートの競技場の高い位置から、あるいは高い建物から撮られたものだろう。
埃っぽいピッチの上に2つのチームが走っている。一つは緑、もう一方は黄色だ。その戦いの後ろには、飾り立てられたモスクが見える。
すると突然、いくつかの銃声に続いて、ゴールの裏で大きな爆発が発生した。
驚いた選手達は安全なところに向かって走った。幸いにも、彼らの誰も負傷することはなかった。
しかし、ゴール裏で試合を観戦していたファンの一人は幸運ではなかった。揺れるカメラが爆発の方に向き直ると、白いピックアップ車に負傷したファンを運んでいる男性の姿が映し出された。
幸いなことに、2010年にトルクメン人の町であるタル・アーファルのダービーマッチで発生した血なまぐさい場面の繰り返しはなかった。その日は25名のファンが殺され、自爆テロ犯が車を爆発させたとき、100名以上が負傷した。
イラクでのフットボールは、何十年も損なわれている。加虐的なウダイ・フサイン――大統領サッダーム・フサインの息子であり、サッカー協会の会長を務めた男によって。そして2003年にアメリカが侵入し、占領を行ったことによって。そして現在はISILと宗派争いによって。
過去12年で何百人のサッカーファンが命を落としてきた。しかし、サッカーは続いていく。
記憶に大きく残る一つの出来事は、バグダッドのマンスール地区、アイスクリーム・パーラーで自分自身を爆発させたテロリストの事件だ。2007年アジアカップ準決勝で韓国を破った代表の活躍を祝っていた30名のファンを殺害した。
この時に死亡した12歳の男の子の母は、涙を流すことを拒否し、強い言葉を残した。
「私はこう表現したい――息子は代表チームのために犠牲になったのだと」
そして、この攻撃は現在までファンが叫ぶ新しい歌を生み出した。
「我々の血と魂を、イラクのために犠牲にしよう!」