1日に鎌田大地が加入したイングランド・プレミアリーグのクリスタル・パレス。1905年にロンドンで設立されたクラブで、2013年から12シーズンに渡ってトップディヴィジョンに残留し続けている。

三笘薫が所属しているブライトンとは長年のライバル関係にあり、その試合は2つの街を結ぶ高速道路の名前から「A23ダービー」「M23ダービー」と呼ばれる。両チームはかなり離れた場所を本拠地としているが、重要な試合で対戦してきた歴史があり、サポーターの衝突も多かったからだという。

今回は『90min』から「クリスタル・パレスの歴史上最高のレジェンド」を10名ご紹介しよう。

ウィルフリード・ザハ

クリスタル・パレス所属:2002~2013、2014~2023

クリスタル・パレスで2000年代に最も偉大な存在と言えば、ウィルフリード・ザハ以外の名前が上がる可能性は低いだろう。

マンチェスター・ユナイテッドに移籍していた1年間を除き、2回に渡って合計18年間クリスタル・パレスのユニフォームを着ていた。そして458試合に出場して90ゴールを決めたほか、サイドから素晴らしいドリブルを見せ続けた。

2023年に契約が満了になったため、キャリアの一区切りをつけてトルコのガラタサライへと移籍。クリスタル・パレスの歴史上10位となる得点記録を残し、愛するクラブを去っていった。

ジョニー・バーン

クリスタル・パレス所属:1956~1962、1967~1968

ニックネームは「バッジー」。セキセイインコを意味する言葉だ。いつもおしゃべりだったジョニー・バーンは、17歳の誕生日にクリスタル・パレスとプロ契約を結んだ。

下部リーグ時代のパレスでストライカーとして大ブレイクし、1962年まで通算96ゴールを決めて、3部リーグ昇格に貢献。しかも4部時代にイングランド代表に選ばれていた。

その後1部のウエストハム・ユナイテッドに移籍したあと、1967年にパレスへと復帰。選手としてのピークを過ぎていたために2回目の所属は成功しなかったが、通算259試合で101ゴールというクラブの歴史上8位の得点記録を残している。

フリアン・スペローニ

クリスタル・パレス所属:2004~2019

クリスタル・パレスのホームスタジアムであるセルハースト・パークには、「スペローニ・レストラン」という食事処がある。それはクラブで15年間を過ごしたアルゼンチン出身のゴールキーパーへの敬意を示している。

スコットランドのダンディーからプレミアリーグ昇格初年度のパレスに加入した彼は、それから3年にわたってバックアップを務めたが、2007-08シーズンからレギュラーを奪取した。

それから2014-15シーズンまで長くポジションを確保し、プレミアリーグへの再昇格にも貢献。2019年に退団したあとはどこのクラブにも所属せず、現役を引退した。クラブでの成績は405試合0ゴールで、112試合でクリーンシートを達成している。

マーク・ブライト

クリスタル・パレス所属:1986~1992

クリスタル・パレスでは6シーズンを過ごし、イアン・ライトと爆発的なコンビを形成したマーク・ブライト。幼少期に両親が離婚し、父親によって里親に預けられるというという経験をしたストライカーだ。

ポート・ヴェイルとレスター・シティでプレーしたときにも鬱病を抱えるなど苦しい時間を過ごしたが、1986年に加入したパレスで年間最優秀選手や得点王を獲得するなどブレイクし、1部リーグ昇格に大きく貢献した。

1992-93シーズンの開幕戦でチームの初ゴールを決めたため、「プレミアリーグで最初のゴールを決めたクリスタル・パレスの選手」は彼である。そのあとにシェフィールド・ウェンズデイへ移籍した。パレスでの成績は286試合114ゴール。