ジョン・ジャクソン
クリスタル・パレス所属:1964~1973
少年時代にブレントフォードからクリスタル・パレスのユースへ移籍してきたジョン・ジャクソン。1964年にポジションを確保し、222試合連続出場を果たすなど大きな成功を収めた。
その確実性のあるプレーから、クリスタル・パレスのファンから「ストーンウォール」との愛称をつけられた。これはアメリカ南北戦争の将軍から来た名前である。クラブでの通算成績は346試合0ゴール。
引退後はゴルフに心を奪われ、元プロサッカー選手でありながらゴルフ雑誌の編集者として働いたり、ゴルフ用具の販売をしていたとも。2022年12月29日に80歳で死去。
アンディ・ジョンソン
クリスタル・パレス所属:2002~2006、2014~2015
2002年にバーミンガム・シティからクリスタル・パレスに加入してきた小柄なストライカー。その後の4シーズンで160試合に出場して85ゴールを決める活躍を見せ、チームをプレミアリーグ昇格に導いた。
大きな注目を集めたがエヴァートン、フラム、QPRでは大きな怪我もあってあまり成功を収めることができず、2014年にクリスタル・パレスへと復帰。この際にはすでにユースの指導者と兼任するという契約になっており、選手としては半年間しか所属しなかった。
2016年にはアンバサダーとしてクリスタル・パレスに復帰。不動産会社を経営しつつ、ビジネスコンサルティング会社で働いているという。さらに並行してアマチュアチームのクロイドン・アスレティックでディレクターを任されている。
ヴィンス・ヒレール
クリスタル・パレス所属:1977~1984
ウィルフリード・ザハと同じように、ヴィンス・ヒレールも恐ろしいほどの技術とスピードを兼ね備えた悪夢のようなウインガーであった。また、イングランドサッカー界で最初に活躍した黒人選手のひとりでもある。
1977年にクリスタル・パレスでキャリアをスタートさせ、1980年代初頭の素晴らしいチームの主力メンバーになった。クラブでは通算293試合に出場して36ゴールを決め、3部から1部までの昇格に導いた。
後に自伝の「ヴィンス」を発表しており、その中では70年代から80年代にかけて経験した激しい人種差別について告白している。