田中マルクス闘莉王

水戸での成績:42試合10得点(2003年)

歯に衣着せぬ提言で今や日本サッカー界のご意見番となった田中マルクス闘莉王。

彼は高校時代にブラジルから日本へ留学し、2001年にサンフレッチェ広島へ加入。祖父(父方)の出身地だった広島では一定の出場機会を得たが、後に見せたような強烈なリーダーシップは示せなかった。

また当時は外国籍だっため、2003年には外国人枠の関係でJ2の水戸へ期限付き移籍する。これが彼のキャリアの分岐点となった。

この年にDFながら10得点を記録し、“攻撃型DF”としての原型が出来上がった。同年には日本国籍も取得し、それまでの『トゥーリオ』から漢字の『闘莉王』へ改名している。

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その後、移籍した浦和では闘将として黄金期を牽引し、日本代表でも活躍した。そんな輝かしいキャリアを持つレジェンドも「水戸から全てが始まったと言っても過言ではない」と話している。

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