シュテファン・エッフェンベルク

バイエルンで活躍した元ドイツ代表MF。大柄ながら精度の高い長短のパスを華麗に供給したほか、得点力も備えたスターだった。
ただ、問題児な一面があり、ナイトクラブで女性を殴ったことで罰金判決を受けたこともある。チームメイトも「人間としては最低だが、ピッチ上ではこの上なく頼りになる」と語っていたほど。
1994年のW杯で味方ファンに中指を突き立てる問題行為を起こし、激怒したフォクツ監督によって大会中にチームから追放されると、エッフェも「2度と代表ではプレーしない」と絶縁を宣言。
その後、代表が不振に陥ったことで待望論が高まり、2試合だけ復帰したが、ふたたび代表を辞退してチームを去った。
エリック・カントナ

マンチェスター・ユナイテッドで活躍した“キング”。
背番号7、スキンヘッド、襟立てスタイルのユニフォームの着こなしで神格化された。圧巻のプレーで見る者を魅了した一方、トラブルも少なくなかった。
エメ・ジャケ監督のフランス代表ではキャプテンも任されていたが、1995年1月に“カンフーキック”事件を起こす。クリスタル・パレス戦で相手ファンを蹴った悪名高き事件だ。
この事件によって実質的に代表から追放されたカントナがジャケ監督から呼び戻されることはなかった。本人はベンチ降格を拒否したことで指揮官と仲違いしたという説を否定している。
結局、カントナはワールドカップには一度も出場することなく現役を引退した。
ロイ・キーン

カントナと同じくマンチェスター・ユナイテッドで活躍したアイルランドの闘将。
サー・アレックス・ファーガソンから絶大な信頼を寄せられた彼は、誰にも遠慮しないエキセントリックな個性の持ち主だった。
2002年の日韓W杯では開幕前のサイパン合宿で協会とミック・マッカーシー監督に対する不満が爆発。大会直前に激しい衝突を起こしてチームを去った。
キーンを追放したアイルランド代表だったが、すでに登録期間が過ぎていたために、選手の入れ替えはできず。そのため、キーンは大会のメンバーには名を連ねている。
絶縁を宣言したマッカーシー監督が代表を去った後、キーンはチームに復帰。その後、2人は和解した。
後年、キーンは日韓W杯欠場を後悔しており、指揮官との個人的問題よりも国のためを優先すべきだったと述べている。
