キャリアの転換機に行っていたことは?

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続けて、自身のキャリアの転換期をどのように過ごしていたのかについて話題が及んだ。
「僕は2017年に大宮アルディージャでプレーをしていて、その年にチームがJ2に降格してしまったので、『キャリアを終えようかな』と思っていたところ、FC琉球からオファーをいただいて。最初は、カテゴリが2つ下がる(当時J3)ので、オファーを受けるか悩みましたが、僕がガンバ大阪に入団した時(1998年)、最初は練習生の契約で、給与も少ないところからレギュラーを掴み、日本代表に選ばれるような選手になれたことを思い出して、『最後にチャレンジしよう』という思いで、チームに加わることを決めたんです。沖縄で過ごした1年は、『自分が今後に向けてどうしたいのか』を毎日考えながら過ごしました。色々考えた結果、ゆくゆくはクラブの社長や、チェアマンのような職を任せてもらえるようになりたいなと思うようになり、シーズン終了後に引退を決めました」(播戸)
「私は43歳(2017年)まで現役を続けましたが、最後の年は開幕前に引退することを決めてシーズンに臨みました。この年はチームの成績も非常に悪かった(6位/54勝87敗2分/勝率.383)ので、夏が訪れる前に引退を発表して、若い世代にチャンスを譲るようにしたんです。
自分自身としては、『いずれユニフォームを着て、監督になりたい』と思っていて、一度は海外に勉強に出ようと思っていましたが、引退するタイミングで監督のオファーをいただいて、引退後にいきなり監督を任されることになりました。本当に想像外の状況ではありましたし、全く勝てていないチームを一から作り上げていかなければならない重圧も感じましたが、球団と共に長期にビジョンを立てながら、チームを指揮させてもらいました」(井口)

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「4年に一度行われる五輪が終わったタイミングで、多くの選手が今後のキャリアについて考えると思います。私も同様に、メダルを獲得したリオ五輪(2016年)を終え、東京五輪の代表選考に敗れた際に、真剣にキャリアについて考えるようになりました。当時は、まだ20代だったこともあり、やろうと思えば次の五輪も目指せたのですが、私の場合は結婚して子供が欲しい想いがとても強かったので、まずは女性としてのキャリアを優先し、その後にレスリング選手としてのキャリアを決めようと決断しました。
結果として、現役には復帰しませんでしたが、話し方の学校にも通いながらレスリングを伝える側のお仕事をさせていただいたり、岩渕真奈さん(元女子サッカー日本代表)と一緒に、一般社団法人スマイルコンパスを立ち上げて、スポーツをする機会の少ない特別支援学校や児童養護施設の子どもたちに向けて、スポーツ交流の活動を行っており、こうした取り組みを進める中で、、児童発達支援士の資格を取得して、活動を続けています。そういった意味では、競技が人生の中心にありつつ、児童発達支援士を取得し、、引退後のキャリアが充実するような取り組みも積極的に行ってきたのかなと思います」(登坂)
