内田大貴(エブリサ藤沢ユナイテッド/神奈川県社会人1部)は日本工学院八王子専門学校 サッカーコースを卒業後、横浜F・マリノスの練習生を経て、2013年にセロ・ポルティーニョPF(パラグアイ)でプロデビュー。その後、チリ1部に所属するCDウアチパトに移籍し、日本人として同国リーグ初出場を記録している。

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内田は自らを“ガツガツ系”と称するデュエルタイプ。ボランチを主戦場に海外で5シーズン、日本復帰後は社会人とのデュアルキャリアで選手としての経験を積み重ねてきた。

「キャプテン翼が来た!」と現地で話題になった海外プロ時代のエピソードを中心に、現在の心境やサッカー観などを聞いた。

中澤選手のひと言が海外へのきっかけに

――サッカーを始めたきっかけは何ですか?

「3歳から始めました。父が転がしてきたボールを手で拾わないで足で蹴ったことからサッカーをやらせちゃおうって感じになったらしいです(笑)。高校は帝京高校サッカー部で、卒業後に縁があって日本工学院のサッカーコースに進学しました」

――専門学校時代で特に思い出に残っている経験はありますか?

「スペイン遠征ですね。メッシ選手が在籍していた頃のFCバルセロナに帯同して練習したり、試合を観戦したりすごくいい経験をさせていただきました」

――当時のチームメイトは内田選手にとってどんな存在でしょうか?

「今も仕事で繋がりがある仲間もいますし、年に1回は集まったりしています。いつでも学生時代に戻れるのはメンタル的にいいことです。楽しい時間を過ごせていますね」

――日本工学院を選んでよかった点を教えてください。

「サッカーコース以外にもいろいろな分野でのトップクラスの先生がいます。怪我をしたとき、トレーナー学科の先生に足のケアや体の使い方を教えてもらいました。それぞれの分野から全部吸収できて、まあ学校全体がよかったってことですね」

――卒業後、横浜F・マリノスの練習生になりました。思い出すエピソードはありますか?

「当時のマリノスは天皇杯に優勝した年で日本代表がゴロゴロいました。中村俊輔選手、中澤佑二選手、栗原勇蔵選手、大黒将司選手。同級生には齋藤学選手がいました。

中村選手にフリーキックを教えてもらったときの話ですけど、インパクトがすごすぎて、蹴った瞬間おなかが痛くなるくらい音が響きました。あれはもう衝撃的でしたね。

中澤選手は10時からの練習に毎朝7時に来て一人でトレーニングをしていました。僕もあやかって一緒に練習させてもらったんですけど、僕のことを『絶対に海外向きでしょ』ってちょろっと言ったんですよ。その言葉で気持ちが奮い立って、挑戦するしかないと思って。結果、マリノスでの練習生の経験が海外に行くきっかけになりました」

画像: CDウアチパト(チリ1部)時代の内田(前列中央) (C)Qoly

CDウアチパト(チリ1部)時代の内田(前列中央)

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「キャプテン翼が来た!」と現地で話題に

――最初に契約したクラブはパラグアイでした。

「はい。パラグアイのセロ・ポルティーニョPFと契約したんですけど、誰も時間を守らないんです。2時間ぐらい待って、ようやく練習を始めるんですよ。あれは衝撃でした。会長が日本人嫌いということもあって試合にはなかなか出場できませんでしたね。

あと、サッカーの話ではありませんが、詐欺にも遭いました。あのときは落ち込みましたね…。けど、生活環境も含めて結構なれちゃうと大丈夫なものです(笑)」

――大変でしたね…。その後、チリに移籍しています。

「試合に出られない環境を変えようと思い、南米各地から100人くらい選手が集まる合同セレクションを受けました。僕一人だけ合格して、当初はチリ2部のクラブと契約する予定だったんですけど、地元メディアに『キャプテン翼が来た!』と紹介されたのがきっかけで、1部のCDウアチパトからオファーをもらうという劇的な展開で…」

――そんなことがあるんですね!「キャプテン翼」の影響は絶大ですね。CDウアチパトでは同国初の日本人プロ選手としてデビューしています。

「CDウアチパトは前年リーグ制覇した強豪でした。ちょうどボランチの選手がイタリアのクラブに移籍したこともあって、カップ戦を含めると17、8試合は出場していると思います。ちなみに当時の風貌は長めの金髪でした。まるで超サイヤ人。『キャプテン翼』が来たと思ったら『ドラゴンボール』だったとサポーターに言われました(笑)」

画像: 「横浜F・マリノスで海外へのきっかけを掴んだ」と当時を振り返る (C)Qoly

「横浜F・マリノスで海外へのきっかけを掴んだ」と当時を振り返る

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楽しくやるから勝てる。それ、つまり“楽勝”

――働きながらサッカーを続ける生活の難しさはありますか?

「何も苦しくないですね。楽しくやっています。基本的になんでも“楽勝”だと思うようにしている。けっして生意気な意味ではなく、楽しくやっているほうが勝てるんじゃない?と…。きつい仕事もあります。夜9時から11時までトレーニングをしたあと、朝3時半起きで仕事なんて日もあって、周りから心配されたりもしますが、まあ楽勝です」

――続けられている原動力は何ですか?

「家族ですね。社会人との両立に関しては、サッカーはシンプルに好きなので辞める理由がなくて、仕事に関しては“続けることの大事さ”を息子に教えなきゃいけないし、大変ですけどやりきるって感じですかね」

――今後、どのような夢や目標を持っていますか?

「父親としては子どもがサッカーをできるくらいの広さの家を買うのと、エブリサ藤沢ユナイテッドでの目標は3位以内に必ず入ることです」

――将来、海外でプレーしたい選手たちに伝えたいことは?

「目標を立てて、そこからの逆算で今何をすべきか?考えながらサッカーをやったほうがいいですね。自分だけの力でプロになることは難しいので、一流の人がいる中で、聞いて知恵をもらったりして、今やるべきことを選んでやっていくべきじゃないかなと思います」

――話は戻りますが、日本工学院には一流の環境があります。高校生たちに向けてメッセージはありますか?

「そうですね。いや、本当に日本工学院はまず環境が素晴らしい。ただ、人って環境に慣れちゃう生き物なんですよ。常に向上心を持って、ギラギラやることが大事。あとは情報をたくさん収集すること。トップクラスの先生がいる中で、やっぱり吸収しないともったいないと思います。情報を集めて自分にインプットして、毎日成長できる環境だと思うので、しっかり成長していけば、将来プロになれると思うので、ぜひ頑張ってほしいですね」

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