トーレス、スアレス、キャロル…ストライカーの「歴史的玉突き」

2011年1月の最終日ほど、混沌に満ちた一日はあっただろうか。リヴァプールとチェルシーが巨額の資金を投じ、ストライカーたちの壮大な椅子取りゲームが繰り広げられた。
リヴァプールでは新オーナーのFSGが就任。さらにレジェンドのケニー・ダルグリッシュが監督に復帰。しかし、絶対的エースのフェルナンド・トーレスがチェルシーからの関心を受け、移籍志願書を提出した。
アヤックスから獲得間近だったルイス・スアレスとトーレスを組ませるプランを描いていたが、リヴァプール急遽代役探しを余儀なくされ、白羽の矢を立てたのはニューカッスルのアンディ・キャロル。混乱の中で移籍金は急上昇し、当時のイングランド人史上最高額となる3500万ポンドで合意。プレミアでまだ14点しか取っていなかった若者に、クラブレコードの額を投じたのだ。
キャロルを乗せたヘリがリヴァプールへ向かう一方で、トーレスはロンドンへ。スアレスとキャロルの移籍は時間内に発表されたが、トーレスの5000万ポンドの移籍が承認されたのは、締め切りの20分後のことだった。
オデムウィンギー、スタジアム入場を拒否される
2013年1月、ピーター・オデムウィンギーは自らのキャリアの舵を切ろうとした。当時WBAに所属していたナイジェリア代表FWの彼は、QPRへの移籍が秒読みだと信じ込み、許可なく自ら車を運転してロフタス・ロード(QPRの本拠地)へと向かった。
しかし、その移籍は土壇場で破談に。両クラブが「移籍金で合意していない」と主張する中、オデムウィンギーはQPRのスタジアムの外で車を止め、警備員に入場を拒否された。
オデムウィンギーは後に、トレード要員だったホイレットがWBA行きを拒んだことが原因だったと明かしている。
「すべて合意していると思っていた。ホイレットの移籍が条件に含まれているなんて知らなかったんだ。知っていたら、あんな悪天候の中、生後1週間の赤ちゃんを置いてロンドンまで運転なんてしなかったよ!」と後にオデムウィンギーは語った。
