明神智和
明神智和は、フィリップ・トルシエ政権下において中盤でのバランスを支えた守備的MFだ。豊富な運動量と献身的な守備で、チームの潤滑油として機能していた。派手さはないものの、戦術的に欠かせない存在として大きな信頼を得ていた。
2002年大会では主に中盤の守備役として出場し、相手の攻撃の芽を摘む役割を担った。チュニジア戦でも中盤でのプレスとカバーリングで相手に自由を与えず、チームの守備を支えた。
その後は柏レイソル、ガンバ大阪などで長く活躍し、Jリーグを代表するボランチの一人となった。引退後は指導者として活動し、若手育成に力を注いでいる。
戸田和幸
トルシエジャパンにおける潰し屋として異彩を放っていたのが戸田和幸。中盤での激しい守備とプレッシングで相手のリズムを崩す役割を担い、チームの守備戦術の要となっていた。
2002年大会では全試合に出場し、その守備力を発揮。特にロシア戦では相手の攻撃を封じる重要な役割を果たし、日本の勝利に貢献した。チュニジア戦でも中盤での守備強度を維持し、相手に決定機を与えなかった。また、赤く染めたモヒカンヘアーでも大きな話題を集めていた。
大会後はトッテナムへ期限付き移籍し、海外挑戦も経験。その後はJリーグでプレーを続け、引退後は解説者や指導者としてサッカー界に関わっている。
稲本潤一

2002年大会で一躍ヒーローとなったのが稲本潤一。攻守両面で高い能力を発揮するボックス・トゥ・ボックス型のMFとして、チームの中心的存在となっていた。
大会ではベルギー戦、ロシア戦で連続ゴールを決め、日本中を熱狂させた。中盤からの飛び出しと決定力は、日本代表にとって大きな武器となり、ベスト16進出の立役者となった。チュニジア戦でも攻守にわたって存在感を発揮している。
大会後はプレミアリーグで存在感を示し、欧州各国でプレー。長く海外で経験を積んだ数少ない日本人選手の一人となった。帰国後もJリーグで活躍し、日本サッカー界に大きな足跡を残した。
小野伸二
天才的なテクニックと創造性で攻撃を彩ったのが小野伸二だ。フェイエノールトでUEFAカップ制覇を経験しており、当時すでに欧州でも評価の高いプレーメーカーだった。
2002年大会では左のウイングバックとしてプレーし、その卓越した技術で試合の流れを変える存在として起用された。大会前に虫垂炎を患ったためにギリギリで間に合わせたという状況だったものの、サイドからチームのリズムを整える役割を果たした。
その後も欧州、日本、オーストラリアでプレーし、長く第一線で活躍。近年まで現役を続けた“天才”は、現在も日本サッカー界の象徴的存在として高い人気を誇っている。
