中田英寿
日本サッカー界の象徴的存在であり、当時のエースとして君臨していたのが中田英寿だ。セリエAのトップクラスで活躍する世界的プレーヤーとして、日本代表を精神的にもプレー面でも牽引していた。
2002年大会では攻撃の中心として全試合に出場。卓越したキープ力とパスでチャンスを演出し、チームの攻撃を組み立てた。チュニジア戦でも冷静なプレーで試合をコントロールし、後半30分にはダイビングヘッドで2点目を奪っている。
その後も欧州で活躍したが、2006年W杯を最後に現役引退。その後は旅人や実業家として活動し、日本文化の発信などに従事している。
鈴木隆行
前線で体を張り続けたファイター。得点力だけでなく、ポストプレーや守備での貢献など、献身的な役割を担うフォワードとして起用されていた。大会前には髪の毛を銀に染めており、その容姿でも話題になった。
2002年大会ではベルギー戦でゴールを記録し、日本代表の歴史に名を刻んだ。続くロシア戦、チュニジア戦でも前線で体を張り、攻撃の起点や守備のスイッチを入れる存在として機能した。
大会後はベルギーのヘンクへと移籍し、ヨーロッパでプレー。その後アメリカのポートランド・ティンバースにも所属するなど、様々な経験を積んだ。引退後は指導者として活動し、次世代の育成に携わっている。
柳沢敦
技巧派のストライカーとして前線を担ったのが柳沢敦だ。得点だけでなく、周囲を生かすプレーや動き出しの質の高さが評価されていた。鹿島アントラーズでもともにプレーしていた鈴木隆行との連係力は代表でも重要な武器となっていた。
2002年大会ではスタメンとして出場し、攻撃の流動性を高める役割を果たした。チュニジア戦でもゴールこそなかったが、前線での連係やスペースメイクでチームに貢献している。
大会後はイタリアへ移籍し、サンプドリア、メッシーナでプレー。その後Jリーグに復帰し、長く第一線で活躍した。引退後は指導者となり、鹿島アントラーズの育成年代で継続的に活動している。
※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。
筆者:石井彰(編集部)
