今季のリーグアンを制し、UEFAチャンピオンズリーグも連覇を果たしたパリ・サン=ジェルマン(以下、PSG)。
世界の頂点に君臨する同クラブが、5月の大型連休中に、「ICI C’EST PARIS LA MAISON TOKYO」(イシ・セ・パリ・ラ・メゾン・トウキョウ)と題したイベントを東京で開催し、連日の盛り上がりを見せた。
会期中にはクラブOBで、元ナイジェリア代表のジェイ・ジェイ・オコチャ氏も来場。Qolyの単独取材に応じ、個性的なプレーで沸かせ、ロナウジーニョ氏や中田英寿氏とプレーした現役時代のエピソードを語ってもらった。

ジェイ・ジェイ・オコチャ氏(撮影:向山純平)
――現役時代のオコチャさんは、サーカスのようなドリブルや創造力に溢れるプレーで、多くのファンを魅了しました。近年のサッカーは当時よりも組織やフィジカルが重視されるようになった印象を受けますが、オコチャさんは現代のサッカーをどのようにご覧になられていますか?
僕が選手としてプレーしていた頃(2008年に引退)は、「パッションからフットボールが始まる」ように感じていましたが、時の流れとともにその性質も変化し、かつてとは比べ物にならないくらい“ビジネス”としての側面が強くなっているなと思います。
――もしオコチャさんが、現代のフットボールプレーヤーだったとしたら、どのポジションでプレーしてみたいと思いますか?対戦したい選手などもいらっしゃいましたら、教えてください。
フットボーラーとしては、色々な戦況や戦術に適応する必要があるかな。特定のポジションにこだわってプレーするよりも、自分自身をどのようにチームにフィットすることができるかが重要かなと思うよ。あと再び選手としてプレーするのなら、かつてPSGで共にプレーしたロナウジーニョと、もう一度ボールを蹴ってみたい。その思いはいつの時代も変わらないよ。
――かつてPSGで一緒にプレーされたロナウジーニョ選手の印象を聞かせてください。
僕がPSGで、最初にロナウジーニョ(元ブラジル代表・2001〜2003年までPSGに在籍)とプレーした時に、「本当に天から授かったものがあるな」と感じました。その衝撃を今でもよく覚えているよ。
ロナウジーニョにとって、PSGはヨーロッパで最初にプレーしたクラブで、(フランスで初めてプレーする)僕と似たようなバックグラウンドを持っていて、「フットボールの表現方法も似ているのかな」という印象を当時は抱きました。

チャンピオンズリーグトロフィーとともに(写真:PSG提供)
――お二人とも創造力に長けたプレーヤーだったと思いますが、現代サッカーでプレーヤーがそれらを発揮するには、どうすればいいですか?
「いつ、どの局面で、どのポジションで使うか」が一番重要じゃないかな。ハーフライン付近からドリブル突破を試みるのは、「無謀なプレー」とみなされてしまうと思うので、相手のゴールに近い、ピッチの4分の1にあたるエリアでクリエイティビティを発揮し、プレーヤーとしての自身の価値を高めていくことが、現代のフットボールプレーヤーには求められているんじゃないのかなと感じます。
ーー今季のPSGはリーグアンを制覇。UEFAチャンピオンズリーグの連覇に向けて、決勝を残すのみとなりました。強豪になったPSGに対するオコチャさんの思いを聞かせてください。
僕がプレーしていた頃のPSGには、「僕にとってのホーム」という印象を抱いていて、プロフェッショナルとして、強い思いを持ち、すべてをクラブに捧げるつもりでプレーしていました。これは僕だけに限らず、他の選手にも言えるでしょうし、チームメイトの過ごす中でもそれを節々に感じ取ることはできました。
僕が在籍していた頃は、現在のチーム状況とは異なり、成績やパフォーマンスが振るわなかった時期もありましたが、どんな時もハートを持ってプレイするというところが一番重要ですし、それに気づかせてくれたのがPSGというチームでした。

通訳を交えて(撮影:向山純平)
――オコチャさんの来日は、2002年の日韓W杯以来だそうですね。ナイジェリア代表が入った「グループF」は、アルゼンチン、イングランド、スウェーデンらの強豪揃いで、勝ち上がるのが難しい「死のグループ」と言われていました。日本で過ごされた当時の思い出を聞かせてください。
日韓W杯は、チームの準備も十分でなくて、大会の直前にコーチが代わったりもしましたし、チームが未完成なままで本大会を迎えました。準備が十分でなかったこともあり、結果も振るわず(1分2敗の4位で予選敗退)、僕らとしては「最悪のW杯」だったんですけど、日本自体にはとても良い印象を持っていて、ピッチ外で過ごした時間はとても楽しかったことを覚えているよ。

内覧会冒頭は「ICI C’EST PARIS」と京都の日本酒事業「Sake World」の特製菰樽で鏡開き(撮影:向山純平)
**――その一方、日本やブラジルと同組だった1996年のアトランタ五輪では、数々の強豪を退けて、金メダルを手にされました。
アトランタ五輪のあった1996年は、僕にとっても「本当に最高の1年」でした。
1994年に、ナイジェリア代表としてW杯(アメリカ大会)に初出場し、ベスト16に進み、十分な経験を得られたことが、五輪で金メダルを獲得できた大きな要因だったと思います。五輪が始まる前までは、「自分たちが果たして良いチームなのか?」がわからないところもありましたが、いざ始まってみると、本大会でも素晴らしいプレーが出来た。本当に最高な経験だったよ。
――アトランタ五輪では、日本代表とも対戦し勝利を収めています。当時の日本代表に在籍していた中田英寿選手は、オコチャさんがボルトンに在籍されていた時にチームメートでもありました。
中田選手は、ピッチ上ではもちろん、ピッチから離れた時も本当に良いキャラクターで、常に“パッション”を持ち続けている方でした。一緒にプレーした時間や、彼自身の性格から、「日本サッカー界を背負うアンバサダーのような存在なのかな」と思っています。
――最後になりますが、オコチャさんにとって「フットボール」はどのような存在ですか?
フットボールがあるからこそ、私は今日この場にいられていますし、言葉などもさまざまな壁も取り払ってくれる存在です。フットボールは、世界を小さいものように感じさせてくれますし、多くの人を一つに束ねる力もある。僕の自分の人生を変えてくれた存在なのは間違いありませんし、今日このような場を設けられたのも、フットボールのおかげです。僕にたくさんのチャンスを与えてくれたフットボールには、日々感謝の思いしかありません。

最後はICI C’EST PARISロゴとともに(撮影:向山純平)
取材:JUN.S 撮影:向山純平

