2026年ワールドカップのグループFで日本代表と対戦するチュニジア代表が、大会中にまさかの監督交代に踏み切った。初戦でスウェーデンに1-5と大敗したチュニジアは、サブリ・ラムーシ監督を解任。その後任として急遽招聘されたのが、フランス人指揮官のエルヴェ・ルナール氏である。
彼はワールドカップで“番狂わせ”を起こした経験を持つ指揮官として知られる。2022年カタール大会ではサウジアラビア代表を率い、初戦でリオネル・メッシ擁するアルゼンチン代表を2-1で撃破。この勝利は「大会最大級のアップセット」として今も語り継がれている。
その“メッシを倒した男”が、今度は日本戦の直前にチュニジア代表を率いることになった。ピッチサイドで見せる白シャツ姿でもおなじみの彼は、整った顔立ちと長身、そして情熱的な振る舞いから、世界のサッカーファンの間では“イケオジ監督”としても知られている。
ただし、そのキャリアは決して華やかなエリートコースではなかったという。
現役時代はフランスの「育成の名門」カンヌの下部組織に所属していたディフェンダーだったが、トップレベルの選手として大成することはできなかった。本人も過去に「マルセル・デサイーやディディエ・デシャンら素晴らしい選手と同じ環境でプレーしたことで、自分が一流ではないことを思い知らされた」と振り返っていた。
29歳までサッカー選手を続けたものの、プロとして大成することはなく、アマチュアクラブに所属しながら清掃員として働いていた。そして最終的には自身の清掃会社を設立するなど、労働者としてのキャリアも進めていた。
しかし、それと並行して学んでいたコーチングが彼をサッカーの世界へと引き戻す。2002年に国際的な活動で知られる名監督クロード・ル・ロワ氏の下でアシスタントコーチに就任し、それから指導者として頭角を現していく。
そして彼を有名にしたのは、2008年に縁が繋がったザンビアでの成功だった。2010年にはアフリカネーションズカップで14年ぶりとなるベスト8に導き、評価を高める。
一度職を離れるも、2011年にザンビアへと復帰。そして次年度には同国初のアフリカネーションズカップ制覇という歴史的快挙を成し遂げることになる。
2012年大会の決勝を前にした際、ルナールは自身の過去についてこう語っている。
「私は選手名鑑に載るような人間ではなかった。8年間ゴミを出していた男が、今はアフリカネーションズカップ決勝で指揮を執ろうとしている。サッカーは魔法のようだね」
ザンビアは決して優勝候補ではなく、国際的に活躍しているタレントもいなかった。それでもチームは粘り強く勝ち上がり、決勝ではスター軍団のコートジボワールと対戦した。
舞台となったのはガボンの首都リーブルヴィル。ザンビアにとって、この場所には特別な意味もあった。
1993年、ザンビア代表を乗せた飛行機がガボン沖で墜落し、当時の有力選手のほとんどが命を落とした。彼らが眠る海の近くで、彼らはアフリカの頂点を懸けて戦った。そしてPK戦の末、ザンビアがトロフィーを掲げることに成功した。
ルナールは試合後、負傷で退場していたジョセフ・ムソンダを「お姫様抱っこ」して、選手たちの歓喜の輪へ連れていった。その姿は今もアフリカサッカー史に残る名場面のひとつとなっている。

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さらに2015年には、3年前にはライバルだったコートジボワール代表を率いて再びアフリカネーションズカップを優勝。異なる2か国をアフリカ王者に導いた初の監督となり、“アフリカの名将”としての地位を確立した。
また、彼の「アフリカ愛」はサッカーにとどまらない。ルナールの人生におけるパートナーは、ヴィヴィアン・ディエというセネガル人女性である。彼女はかつてセネガル代表やカタール代表などを率いた名監督ブルーノ・メツ氏(2013年に癌で死去)の未亡人であり、アフリカサッカー界ではよく知られた人物だ。
2018年にはセネガルにある自宅で『Hola Maroc』誌の取材を受け、「アフリカで人生を終えたいんだ。ここでは自由を感じる。他の大陸で人生を終えることは考えられない」と答えたという。
ルナールはチュニジアに就任直後、初の練習で選手たちに「顔を上げなければならない。君たちは国を代表している」と語ったと伝えられている。彼がまず取り組むのは、崩れたチームのメンタルを立て直すことだといわれている。
日本代表からすれば、相手は初戦で5失点を喫したチームでありながら、非常に読みにくい相手になった。日本戦で最も注目すべき人物の一人は、ピッチ上の選手ではなく、この白シャツでベンチに座る“イケオジ監督”かもしれない。
筆者:石井彰(編集部)
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