西ドイツ(1982年)
「ヒホンの恥」として語り継がれる1982年の西ドイツ。それは狡猾な戦術というより、露骨な利己主義の産物だった。
グループステージ最終戦のオーストリア戦。他会場の結果を知っていた両チームは、西ドイツが先制すれば共依存関係が成立し、アルジェリアを敗退させられることを理解していた。
先制点を奪った後、試合は茶番劇へと化した。両者はそれ以上のリスクを冒すことを止め、ただ時間を潰したのだ。これに対する反発は凄まじく、このスキャンダルをきっかけに、FIFAはグループステージ最終戦を同時刻開催にするようルールを改めた。
さらに準決勝のフランス戦では、GKハラルト・シューマッハが飛び出した際、パトリック・バティストンに激突して気絶・骨折させたが、なんとこのプレーが無罪放免に。西ドイツの悪名は不動のものとなった。
西ドイツは決勝に進んだが、その大会が残した遺産は、冷酷な機会主義と議論、そして勝利のためにマージンを搾り取ろうとする執念という後味の悪いものだった。
オランダ(2010年)

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2010年のオランダは、かつての彼らが作り上げた「トータル・フットボール」というロマンティックなイメージからは程遠いものだった。
ウェスレイ・スナイデル、アリエン・ロッベン、ロビン・ファン・ペルシーといった決定的な仕事ができる才能は健在だったが、スペインとの決勝戦はその「攻撃性」で有名になった。ナイジェル・デ・ヨングがシャビ・アロンソの胸に見舞った「飛び蹴り」がイエローカード1枚だったのは奇跡に近い。
スペイン戦のオランダには9枚のイエローカード(うち2枚でジョン・ハイティンハが退場)が提示され、相手にも5枚が出された。まさに、闘争そのものだった。スペインも決して無実ではなかったが、オランダのアプローチは意図的な対立を煽るようなものだった。
※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。
筆者:石井彰(編集部)
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