FIFAワールドカップは、世界で最も人気があるスポーツにおいて、あらゆる選手が求めているトロフィー。サッカー界を彩ってきた偉大なスターでさえ、なかなか手が届くものではないのだ。
今回は『Football Faithful』から「キャリアを通してワールドカップ優勝を果たせなかった5人の伝説的サッカー選手」をご紹介する。
ヨハン・クライフ(オランダ)
ヨハン・クライフは、単なる名選手ではなかった。彼はサッカーというスポーツが生んだ、最も影響力のある人物の一人だといえる。
そのインテリジェンス、動き、そして技術的な想像力はサッカーの概念を塗り替え、「トータル・フットボール」という現代サッカーの礎となった戦術を作り上げた。また、後の監督としての活動はバルセロナの現代的なアイデンティティを形作った。
しかし、ワールドカップ(WC)だけは、彼が手にすることができなかった唯一無二のトロフィーとして残っている。
クライフが最も頂点に近づいたのは1974年だ。世界を熱狂させたオランダ代表は西ドイツとの決勝に進出し、相手が一度もボールに触れる前に先制点を奪ってみせた。しかし、その後逆転を許して1-2で敗北。これは今なおオランダサッカー史上「最も痛恨の敗戦」として語り継がれている。
そして4年後、オランダは再び決勝の舞台に立つが、そこにクライフの姿はなかった。1977年、バルセロナで家族とともに誘拐未遂事件に遭ったことをきっかけに代表引退を決意していたからだ。彼を欠いたオランダは、またもや最後のハードルとなったアルゼンチンに屈した。
監督としても大きな成功を収めたものの、協会内の政治的緊張もあってついに母国の代表を指揮することはなかった。
アルフレド・ディ・ステファノ(アルゼンチン/スペイン/コロンビア)
ディ・ステファノのW杯にまつわる物語は、おそらく最も奇妙なものだろう。同世代で最高の選手の一人であり、キャリアを通じて3つの異なる代表チームでプレーしながら、レアル・マドリーのレジェンドは一度も本大会のピッチに立つことができなかった。
ディ・ステファノはまずアルゼンチン代表としてデビューし、6キャップを記録して1947年の南米選手権優勝に貢献した。
しかし、その後のキャリアは複雑化する。コロンビアへ渡り、当時FIFAに公認されていなかった選抜チームでプレーしたことで、他国の代表として公式戦に出場することを禁じられてしまったのだ。
1956年にスペイン国籍を取得し、ようやくスペイン代表としての出場権を得た。当時の彼はすでに欧州のクラブサッカー界を支配する存在であり、レアル・マドリーをチャンピオンズカップ5連覇に導き、クラブを世界的な巨像へと変貌させた象徴だった。
31歳になった彼は、1962年のチリWC予選でスペインを本大会へと導く。フットボール史上最も完成された選手が、ついに世界最高の舞台に現れる瞬間が来たはずだった。しかし、大会直前の怪我がすべてを台無しにした。
彼はチームに同行したものの、プレーすることは叶わなかった。欧州を征服した男が、WCでは1分もプレーできなかった。
