4位:マイケル・オーウェン
移籍:リヴァプール → (中略)→マンチェスター・ユナイテッド
リヴァプールのアカデミーで育ち、17歳でトップチームデビュー。爆発的なスピードと決定力で得点を量産し、2001年にはバロンドールまで手にした。公式戦297試合158得点。マイケル・オーウェンは、間違いなくクラブが生んだスーパースターだった。
2004年にレアル・マドリーへ去った時点では、まだ裏切り者ではない。問題は2009年である。ニューカッスルとの契約が満了し、フリーになった29歳。落ち目と言われても仕方のない状況で、電話をかけてきたのがアレックス・ファーガソンだった。
リヴァプールの英雄がマンチェスター・ユナイテッドの赤を着る。しかも背番号は、クリスティアーノ・ロナウドが去って空いた7番。マージーサイドで愛された少年が、宿敵のもとでリーグタイトルを掴む。リヴァプールのファンにとっては、その事実こそが一番苦しいものだったはずだ。
3位:モー・ジョンストン
移籍:セルティック → ナント → レンジャーズ
英国サッカーの禁断移籍を語るなら、モー・ジョンストンを避けて通ることはできない。しかもこのケース、セルティックからレンジャーズへ直接移ったわけではない。
1984年にセルティック入りしたジョンストンは3年間でゴールを量産し、フランスのナントへ渡った。そして1989年、古巣復帰がほぼ固まる。セルティックのユニフォームを着て記者会見にまで登場し、離れたくなかった、英国でプレーするならセルティック以外にない、という趣旨のことまで口にした。
ところが2カ月後。実際に彼が加入したのは、最大の宿敵レンジャーズだった。当時のレンジャーズにはプロテスタント系クラブとしての伝統があり、彼のようなカトリック選手を積極的に獲得しない慣習が長く続いていた。
セルティック側は当然、激怒する。一方でレンジャーズの一部サポーターも宗教的背景から強く反発し、両陣営から敵視されるという異常事態に陥った。
