移籍そのものは、サッカーでは日常の風景だ。しかしクラブ間に深いライバル関係が横たわっていれば話は別だ。

昨日まで英雄だった選手が宿敵のユニフォームに袖を通した瞬間、呼び名は「裏切り者」へと変わる。『GIVEMESPORT』から、「英国サッカー史における最大の裏切り者」をご紹介する。

6位:フランク・ランパード

移籍:ウェストハム → チェルシー

チェルシー史上最高の選手の一人に数えられるフランク・ランパードだが、出発点はウェストハム・ユナイテッドだった。

父ランパード・シニアはウェストハムの名選手で、引退後はアシスタントコーチを務めた人物。さらに当時の監督ハリー・レドナップは叔父にあたる。本人もアカデミーからトップチームへ上がった生え抜きで、血縁も経歴もクラブと分かちがたく結びついていた。

しかし決裂は2001年に訪れる。レドナップが退任し、父もコーチ職を離れた。当時の代理人は『Guardian』に対し、本人が完全に裏切られたと感じており、もうウェストハムでプレーする気はないと語っていたことを明かしている。

そして22歳、移籍金1100万ポンドでチェルシーへ。欧州の舞台で戦える環境も決断を後押しした。その後は説明するまでもない。クラブ史上最多得点者となり、プレミアリーグもチャンピオンズリーグも制した。

5位:ニック・バーンビー

移籍:エヴァートン → リヴァプール

グディソン・パークとアンフィールドの距離は、わずか1キロほど。公園を挟んで歩いて渡れる近さだが、その間にある心理的な壁は途方もなく高く、両クラブのライバル心は強烈なものだ。

2000年、その壁を正面から越えたのがニック・バーンビーだった。トッテナム、ミドルズブラを経て1996年にエヴァートン入り。4シーズンで100試合以上に出場し、イングランド代表にも復帰してEURO2000のメンバーに選ばれた。押しも押されもせぬ主力だった。

そこで彼が選んだのは、契約延長ではなくリヴァプールへの移籍だった。『Guardian』によれば、本人がクラブへ直接その意思を伝えたことで即座に移籍リスト入り。当時のウォルター・スミス監督も失望を隠さなかったという。

エヴァートンからリヴァプールへの直接移籍は、1959年のデイヴ・ヒクソン以来41年ぶり。リヴァプール公式も、彼にとってキャリア最大の決断だったと表現している。しかも彼は、その年10月のマージーサイド・ダービーで古巣から先制点を奪った。アンフィールドのKOPは一夜にして彼を受け入れ、グディソンは永久に彼を許さなくなった。

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