ディエゴ・フォルラン

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生年月日:1979年5月19日
ウルグアイ代表選出:2002年〜2014年
代表成績:112試合36ゴール
2010年代にウルグアイが世界の上位へ返り咲いた、その中心にいた男だといえる。2002年に代表デビューし、同年の日韓ワールドカップにも出場。2014年までに112試合36得点を積み上げた。
クラブではマンチェスター・ユナイテッドで苦しんだが、スペインへ渡って一変する。ビジャレアル、アトレティコ・マドリーで点を量産し、ラ・リーガ得点王を2度手にした。
彼にとってのピークは2010年。アトレティコではヨーロッパリーグ決勝のフラム戦で2得点。クラブに48年ぶりの欧州主要タイトルをもたらした。
その勢いのまま迎えた南アフリカでのワールドカップでは大会5得点。開催国南アフリカ戦、ガーナとの準々決勝、オランダとの準決勝と、重要な試合でネットを揺らし、ウルグアイを1970年以来40年ぶりのベスト4へ導き、大会最優秀選手に贈られるゴールデンボールも受け取った。
翌2011年のコパ・アメリカでも、決勝パラグアイ戦で2ゴール。3-0の勝利を決定づけ、代表としての最大のタイトルを手にしている。
キャリア後半にはセレッソ大阪でもプレー。すでにピークを過ぎていたこともあって、Jリーグでの活躍はわずかだったが、日本のファンにはなじみが深い存在だ。
エンツォ・フランチェスコリ

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生年月日:1961年11月12日
ウルグアイ代表選出:1982年〜1997年
代表成績:73試合17ゴール
「エル・プリンシペ(王子)」。この愛称だけでも、彼がどれほど特別な存在だったかが伝わってくる。1982年に代表デビューした彼は、1997年までに73試合17得点を記録し、1986年のメキシコ大会と1990年のイタリア大会ではキャプテンとしてワールドカップを戦った。
最大の功績はコパ・アメリカ3度の制覇。1983年、1987年、そして1995年。ウルグアイサッカー協会も、この3大会を彼の代表タイトルとして記録している。
1983年大会ではブラジルとの決勝でゴールを決め、若くして南米王者にもなっている。1987年大会でも連覇に貢献し、キャリア終盤の1995年大会においても母国開催のチームを優勝に導いている。そして、コパ・アメリカを3度制したウルグアイ人は彼ひとりである。
彼に憧れた一人がジネディーヌ・ジダンで、長男に「エンツォ」と名付けたことはよく知られている。力強いストライカーの印象が強い国にあって、フランチェスコリは美しさで祖国を代表した選手だった。
