デイヴ・ビーサント
ポジション:GK
クラブ最大の試合で、最大のヒーローになった男だ。1979年、ノンリーグのエッジウェア・タウンから加入。下部リーグをさまよっていた時代からゴールを守り、4部優勝から1部昇格までの成り上がりをほぼすべて経験した守護神だ。
1988年5月14日のFAカップ決勝では、1対0とリードして迎えた後半にPKを献上する。キッカーは名手ジョン・オルドリッジだった。
だがビーサントは、相手の助走の癖を事前に研究していたという。前日にはファシャヌにオルドリッジを真似たPKを蹴らせて対策までしていたとか。そして本番、読み通りの方向へ飛んで完璧に止めた。彼はFAカップ決勝でPKを防いだ史上初のGKとなり、キャプテンとしてトロフィーを掲げた。
ただ、この決勝がウィンブルドンでの最後の試合になった。翌月ニューカッスルへ移籍し、半年ほどでチェルシーへ。当時のクラブ最高額での加入だった。1990年ワールドカップではイングランド代表の第3GKとしてメンバー入りし、その後も長く現役を続けた。
2004年に44歳で引退したものの、なんと2013年に現役復帰。54歳で8部リーグに出場し、次年度にはリーグツー(5部)の試合に55歳でベンチ入りしている。
ローリー・サンチェス
ポジション:MF
クラブの歴史を一つのゴールで表すなら、彼のヘディングだろう。1984年にレディングから加入し、1985-86シーズンのハダースフィールド戦で1部昇格を決めるゴールを記録した。
2年後、今度はウェンブリーでクラブ史上最大の一点を奪う。1988年FAカップ決勝の前半37分、デニス・ワイズのフリーキックに飛び込み、巧みに頭で軌道を変える。ボールはリヴァプールGKブルース・グロベラーの頭上を越えてネットへ吸い込まれた。
ジョーンズやファシャヌほど凶暴なイメージはないが、強烈なロッカールーム文化を生き抜いた一人だ。1994年までクラブに在籍し、スウィンドンを経てアイルランドのスライゴ・ローヴァーズで選手兼監督となった。
指導者としても名を上げる。ウィコム・ワンダラーズを率いた2000-01シーズンには、当時3部相当のクラブをFAカップ準決勝まで導いた。北アイルランド代表監督としては、就任時124位だったFIFAランキングを在任中に27位まで押し上げ、イングランドやスペインから歴史的勝利も挙げている。
ちなみに選手と並行して学校で経営を学んだインテリであるほか、妻が癌で若くして亡くなったあとは慈善団体の支援者として積極的に活動している。
テリー・フェラン
ポジション:DF
屈強な大男ばかりが集まっていたわけではない。左サイドを疾走したテリー・フェランは、スピードと運動能力で違いを生んだ選手だった。
リーズ・ユナイテッドの育成組織では定着できず、スウォンジーを経て1987年に加入。すると1年目でキャリア最大の瞬間を迎える。1988年のFAカップ決勝に左サイドバックとして先発し、スター軍団を相手に守り切って王者となった。
その後もチームに残り、5年間で約200試合に出場。そして1992年、プレミアリーグ創設のタイミングでマンチェスター・シティへ移籍する。移籍金250万ポンドは当時の英国人DFとして記録的な金額で、シティ公式は世界最高額のDFになったと紹介している。
代表はアイルランドを選び、1994年アメリカワールドカップでは強豪イタリアを1-0で破った試合にも先発している。後にチェルシー、エヴァートンでもプレーした。現在はインドでディレクター業をしている。
