ウォーリー・ダウンズ
ポジション:MF
クレイジーギャングを作ったのは誰か。そう問われれば、この名前は外せない。ウィンブルドンが世界的に知られる前から、異常な文化を作っていた中心人物だった「イタズラ王」だ。
ボクシングの世界ミドル級王者であるテリー・ダウンズを叔父に持つ武闘派の彼は、クラブ史上初のフルタイムのプロ選手となり、1979年に17歳でリーグデビュー。いきなりゴールを決め、その後200試合以上に出場した。
そしてピッチ外では「悪戯の総元締め」であったとか。新加入選手の服を破る、燃やすといった行為が横行した当時、彼はクラブの理学療法士を船から逆さにつるし、どれだけ水中に耐えられるか試したという。いまならあきらかにパワハラだ。
それでもバセット監督は後に「彼は遊ぶ時は遊んだが仕事では徹底的に働いた」と証言している。ふざけた集団でありながら、練習になれば極端に厳しかったようだ。
キャリアでは4度の脚の骨折に苦しみ、20代で現役を終えた。その後は指導者としてクリスタル・パレスなどでコーチを務め、ブレントフォードの監督にも就任。2018年にはAFCウィンブルドンの監督として故郷へ帰還した。
アラン・コーク
ポジション:FW
ジョーンズのような悪役でも、ファシャヌのような巨漢でもない。だがクラブそのものを象徴するなら、この男以上の選手はいない。
1978年、ウィンブルドンがフットボールリーグへ加入したばかりの頃に加わり、そこから14年間在籍。4部から1部まで、すべてのカテゴリーを一緒に駆け上がった。リーグ戦だけで430試合145得点。長年にわたってクラブの最多出場、最多得点記録を保持した。
1988年のFaカップ決勝では背番号9で先発。欧州屈指の強豪を相手に、コークら前線は愚直にロングボールを追い、DFへ圧力を掛け続けた。相手にいつものサッカーをさせず、自分たちの土俵へ引きずり込む。その戦い方を下部時代から知り尽くしていた存在だった。
1992年にクラブを離れると、恩師バセットが率いるシェフィールド・ユナイテッドへ。プレミアリーグでもプレーし、フラムを経て現役を終えた。引退後はスウォンジーやカーディフの監督、シェフィールド・ユナイテッドのコーチなどを歴任している。
なお、かつてイングランド代表でプレーしたジャック・コークの父親としても知られる。
※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。
筆者:石井彰(編集部)
画像提供:Getty Images
