かつてイングランドに「誰も対戦したがらない集団」がいた。それはウィンブルドンFC。通称「クレイジーギャング」である。
荒々しいプレー、容赦のない肉弾戦、度を越した挑発。その結束力を武器に、小さなクラブがイングランドサッカーを駆け上がった。デイヴ・バセット監督のもとで4部からわずか4シーズンで1部へ昇格。1988年のFAカップ決勝では、ジョン・バーンズ、ピーター・ベアズリー、アラン・ハンセンらを擁する当時最強クラスのリヴァプールを1-0で下したことで知られている。
試合終了の瞬間、BBCの名実況ジョン・モットソンはこう言ったという。「The Crazy Gang have beaten the Culture Club」。クレイジーギャングが、華麗なるカルチャークラブを倒したと。
全盛期はプレミアリーグ創設以前に始まっているが、その精神は1990年代まで受け継がれ、ウィンブルドンは異質な存在として生き残った。『GMS』から、そのクラブの文化を作った8人の選手を紹介する。
ヴィニー・ジョーンズ

(C)Getty Images
ポジション:MF
クレイジーギャングと聞いて最初に思い浮かべる人が多いだろう。ウィンブルドンの荒々しさを、そのまま人間にしたような選手だった。
1986年に加入すると、「中盤の用心棒」として相手を威圧。激しいタックル、挑発、圧倒的な闘争心で名を馳せた。ニューカッスル戦で若きポール・ガスコインの股間をつかんだ場面は、英国サッカー史でも屈指の珍写真として残っている。
その後はリーズ、シェフィールド・ユナイテッド、チェルシーを経て古巣へ復帰し、ウェールズ代表にも選ばれた。現役末期に始めた俳優業では、ガイ・リッチー監督の『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』をきっかけに映画スターへ転身。現在は『スナッチ』や『X-MEN:ファイナル ディシジョン』など、100本以上の作品に出演するまでになった。
ジョン・ファシャヌ
ポジション:FW
クレイジーギャングの前線に君臨した「大将」。1986年にミルウォールから加入すると、強靱な肉体でウィンブルドンの攻撃を牽引した。ロングボール戦術が成立したのも、最前線でファシャヌがDFと肉弾戦を繰り広げ、パスを収めたからである。
同時に、チームの恐ろしい評判を作った中心人物でもあった。その荒々しい空中戦は対戦相手から恐れられ、1993年には競り合いでトッテナムのギャリー・マバットが頭蓋骨と眼窩を骨折する大怪我を負い、大きな批判も浴びている。
ウィンブルドンでは公式戦126得点。1990-91シーズンには2部で20ゴールを奪い、得点ランキング上位に食い込んだ。その後1994年に135万ポンドでアストン・ヴィラへ移籍したが、負傷に苦しみ13試合3得点で現役を終えた。
引退後は人気番組『Gladiators』の司会者として「Awooga!」の決め台詞で知られ、『I'm a Celebrity...Get Me Out of Here!』にも出演。恐怖のFWから全国区のタレントへ、これもまたクレイジーギャングらしい転身だった。
デニス・ワイズ
ポジション:MF
身長168cmほどの小兵である。しかしこのチームで、体のサイズほど意味を持たない数字もなかった。闘志と気迫を表に出してプレーする「ファイター」だった。
サウサンプトンを離れ、18歳だった1985年に加入。当初はほぼ無名だったが、バセット監督のもとで急成長し、1986年の1部昇格に貢献した。そして1988年のFAカップ決勝で歴史を作る。前半37分、左から蹴ったフリーキックにローリー・サンチェスが頭で合わせ、これが決勝点となった。
1990年にチェルシーへ移り、11シーズンで445試合に出場。キャプテンとしてFAカップ、リーグカップ、カップウィナーズカップ、UEFAスーパーカップを掲げ、国際化が進むチームではジャンフランコ・ゾラら外国人選手と英国人選手をつなぐ役割も担った。また、後にミルウォールで選手兼監督として2004年のFAカップ決勝へ進出している。
2019年から2024年にはイタリアのコモで顧問やCEOを務め、チームのセリエDからセリエAまでの昇格を支えている。
