トッティ

(あのユヴェントス戦では)彼が入った途端に試合の流れが変わった。

1点目を決め、2点目も彼が決めたみたいなものだ。ピッチに入れば、毎回必ず何かをやってくれたね。

俺が出場停止で出られない時もゴールやアシストなど何かをしてくれた。

この年にスクデットをとれたのは、試合に出られなくても全員が重要な選手だったからなんだ。誰もがいつ呼ばれても試合に出られる状態だった。

開始10分で2-0にされたから、あの時は自分たちのことで頭が一杯だった。

ゴールを決めたのは確かデルピエロとジダン。俺たちは全く歯が立たなかった。

残り6試合でユーヴェに追われる立場だった。

彼の前だから言うのではなくて、中田が入って15分で試合の流れが変わったんだ。

何分に入ったのか覚えていないけれど、残り15分くらいだったかな。

あの日は中田がサッカー史にその名を刻んだ。中田のための夜だったね。

監督はゲンを担ぐタイプだったから、翌週は確かホームのアタランタ戦で俺たちはあまりよくなかったから俺が中田と交代になったんだ。

そうしたら、モンテッラが1-0のゴールを決めた。監督はこういうことを気にするんだ。確か前の試合と同じ時間に交代したはずだ。

2001年5月に行われたセリエA第29節ユーヴェ戦。ローマは開始6分で2失点した後、後半15分にトッティに代えてヒデを投入。

すると、ヒデは後半34分に1点目を決め、後半アディショナルタイムにモンテッラの同点弾を演出してみせた(試合は2-2)。

トッティの言葉通り、第30節アタランタ戦でもカペッロ監督は後半14分にヒデと交代させている。

そんなことまでしっかり覚えていたトッティはスクデット獲得の翌年に退団したヒデの心中を思い遣る発言もしていた。さらに、「(ローマの街の人間は)みんな君のことをおぼえているよ」とも話していた。

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そんなトッティはヒデからローマからの退団を考えたことはあったかと聞かれると、2004年にレアル・マドリー移籍を迷ったことを明かしていた。

さらに、トッティは今の走るサッカーだったら自分は無理だったとしつつ、今は試合数が多すぎる点も指摘していた。

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