2010年5月22日、インテルはバイエルン・ミュンヘンとの戦いを制し、1964-1965シーズン以来のビッグイヤー獲得だけではなく、昨年バルセロナのバルセロナに続き3冠という偉業を達成した。稀代の名将モウリーニョと歴史に名を刻んだ選手達の道程を、インテルの偉業を称えると共に、2009-2010シーズンのインテルが歩んできた道を振り返りたいと思う。

続かなかったハイパフォーマンス(シーズン開幕~ウィンターブレイクまで)

4連覇を達成して迎えた2009-2010シーズン夏のメルカート。それまでの絶対的エース、ズラタン・イブラヒモヴィッチを放出し、サミュエル・エトーやディエゴ・ミリートといった献身的なアタッカーを獲得。こうして臨んだ今シーズン開幕戦の相手は昇格組のバーリであったが、ドロー発進とすっきりしない出来で、早くも2戦目にミランとのミラノダービーを迎えた。開幕戦で勝利できなかったとは言え、ややインテル優勢という見方であったが、この試合直前にウェスリー・スナイデルの獲得が決まる。ジョゼ・モウリーニョが求めていたトレクワルティスタを本職とする選手だ。この補強がヒットし、ほぼぶっつけ本番となった前線の組み合わせが絶妙なハーモニーを奏で、魅力的なサッカーを展開。宿敵を4-0のスコアで封じ込んだ。

これにより、結果と内容を兼備した新しいインテルが誕生かと思われた。だが2週間後に行われたCLグループリーグ、サン・シーロでのバルセロナ戦。チームの真価を問われるこのゲームで、インテルはスコアレスドローに終わる。前回のCL覇者相手とは言え、成す術なく守り一辺倒の内容に、ニュー・インテルを期待していたサポーターは肩を落とした。

ただ、セリエAでは他のライバルとはワンランク上の完成度を見せつけ、手堅く勝ち点を重ね、首位でクリスマス休暇を迎えた。チャンピオンズリーグでは苦しみながらも、最終節のルビン・カザン戦に勝利し、2位通過で決勝トーナメントへ駒を進めた。

ミラノダービーで魅せた新たな力

2008-2009シーズンまでのインテルは、とにもかくにもイブラヒモヴィッチありきだった。故サー・ボビー・ロブソンは、バルセロナで監督を務めていた頃、「戦術はロナウドだ」と口にして話題となったが、この時期のインテルも「戦術はイブラ」であったと言って過言ではないだろう。モウリーニョはその依存体質を何度も否定したが、イブラの調子によってチームのパラメーターは大きく変化し、彼が抑えられた途端に脆さを見せた。リーグ戦では圧倒的な強さを見せたが、チャンピオンズリーグの舞台で途中敗退してしまった原因はここにあると言われた。

だが、2009-2010シーズン、その戦術の中心であった核がチームを離れ、新戦力が加わったことでチームは急進的な変化を見せた。特にマドリーで飼殺しとなっていたスナイデルがチームに与えた影響は絶大であった。デビュー戦となった、第2節に行われたミランとのダービーマッチでは、初陣とは思えぬ支配力でインテル攻撃陣をリード。エトー、ミリートらアタッカー陣を見事に操り、前述の圧勝劇の立役者となった。

オランダ代表司令塔を中心として織り成す、長短を織り交ぜたパスワークと個人技の融合は、単純に「イブラ依存体質の大味なサッカー」から「組織的なパスサッカー」へ移り変わっただけではなく、セリエAでも異彩を放つ、観る者を魅了するものへと進化する予感を漂わせた。


"インテル3冠の軌跡 vol.1" |Feature @ June 2010|text by football web magazine Qoly

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