いまだにサッカーファンからは「日本代表史上史上最高の10番」と推す声も多い“マジカル・レフティー”。元々は典型的な司令塔タイプの選手であったが、日本代表時代に監督の加茂周によってボランチへコンバートされたことで「ユニフォームを汚す10番」に変身。正確無比な左足から繰り出されるパスで決定機を演出するだけではなく、的確なカバーリングや献身的なチェックで守備にも貢献するなど、攻守に渡って活躍する近代的なゲームメイカーとしての地位を確立した。
そして、彼の全盛期と重なった大会が2000年に行われた、アジアカップ・レバノン大会であった。この時代の日本代表の主役は中田英寿であったが、(当時は10月開催だったこともあり)ペルージャでセリエAを戦っていた彼を呼べなかったことで、フィリップ・トルシエから新たなチームの心臓部に指名されると、中盤の低い位置で舵取り役を担い、中長距離パスを交えた捌きでチームにリズムを与えるだけではなく、自身も積極的に決定機に絡んでいくつものゴールも記録するなど、文字通り、「チ―ムの王様」として2大会ぶりとなるアジアカップ制覇に貢献。準々決勝のイラク戦で見せた、後世に伝わる、“左足ダイレクトボレー”はもちろんのこと、同大会における彼のその雄姿は今でも多くのサッカーファンの記憶の中で生き続けている。
(筆:Qoly編集部 T)