2004年8月3日(火) - 山東斉南スタジアム
Japan
4
0-1
3-2
EXTRA1-0
3
Bahrain
中田浩
玉田
中澤
玉田
48'
55'
90'
93'
得点者
6'
71'
85'

A・フバイル
A・フバイル
ナゼル

日本中を熱くさせている2011年のアジアカップだが、試合展開の凄まじさでは2004年の中国大会も決して劣ってはいなかった。準々決勝ヨルダン戦でPKにもつれ込み、川口の奇跡的なセーブでなんとか勝ちあがった日本は、この準決勝でバーレーンと対戦することとなった。個人の技術、経験、戦術などすべての面において日本はバーレーンより優れていたものの、バーレーンにはサルミーン、A・フバイルを中心としたカウンターの意外性があり、油断ならない相手だった。

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不安はいきなり適中。開始6分、右サイドのスローインから中央にボールが入り、ボールを受けたA・フバイルが田中のマークをものともせずシュートを放つとこれがニアサイドに吸い込まれてしまう。川口の悪癖をつかれ、日本は早くもビハインドを背負うこととなった。

日本は左サイドの三都主を中心にクロスを何度も入れるが、ゴールに結びつかない。対照的にバーレーンのカウンターはシュートに結びついており、失点の危険は常に日本を脅かしていた。さらに前半40分、ボールを奪った遠藤が中村にパスを出した際、肘を振り回したとして一発退場をくらってしまう。この大会何度も苦しめられた、稚拙なジャッジ。日本は窮地に立たされた。

ツꀀ

後半、ジーコ監督は福西に替えて小笠原満男を投入。攻めの姿勢を強める。開始早々の47分、左サイドからの中村のCKに飛び込んできた中田浩二が頭で合わせ、日本は同点に追いつく。さらに55分、中田のスルーパスで抜け出した玉田が、左サイドからGKの頭上を抜き、日本が逆転。この頃には、玉田のスピードにバーレーンのDF陣はついていけなくなり始めていた。

しかし、日本はこのリードを守れない。バーレーンにゲームを支配されるようになり、71分には右サイドのスルーパスをまたもA・フバイルが押し込んで同点。さらに終了5分前には、カウンターから数的不利を作られ、スルーパスを受けたナゼルが川口を破ってバーレーンが逆転する。歓喜に沸くバーレーン・サポーター。バーレーンの放送局は「アッラーアクバル!!(アッラーは偉大なり)」を連発し、テンションは最高潮に達する。もはや万事休すか、そう思われたが、日本代表はまだ勝利をあきらめていなかった。

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後半終了間際、あきらめずにボールを追った玉田がDFのパスミスを拾う。三都主が上げたクロスに飛び込んだのは、ゴール前に攻め上がっていた中澤。シュートはGKサイードの右を抜ける。同点!DFの中心を担ってきた中澤の、素晴らしい判断とヘディングだった。そして延長前半3分、ロングボールをピッチ中央で受けた玉田が、最後の力を振り絞ってこの日最高のパフォーマンスを発揮する。身体をうまく使いながら二人を交わすと、一気に加速。追走するDFを軽く振りきり、ゴール右に落ち着いて沈めてみせたのだ。約40mのドリブルゴール。この大一番で、玉田に最高のプレーが飛び出した。

ツꀀ

この大会の日本代表は、現在のチームよりもはるかに脇が甘く、戦術的にも完成されていなかった。また、中国の観客からのバッシングやミスジャッジにも悩まされた。だが、だからこそ一試合一試合があれほどまでに劇的になったのだろう。中澤が同点弾を決めた瞬間、解説のセルジオ越後氏は「やったー、やったー、やったーやったーやったー、ほらー!」と我を忘れて大騒ぎしていた。辛口で知られる氏がこんなにはしゃぐなんて、この試合以外果たしてあっただろうか?

願わくば、今大会の決勝でもセルジオ氏に我を忘れさせるようなスペクタクルな試合を見たいものである。

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(筆:Qoly編集部 S)



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