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今から10年前、日本と韓国で初めて開かれたワールドカップ。ご存じの通り韓国代表チームは快進撃を見せ、最終的に準決勝にまで勝ち上がり、ベスト4に進出するという目覚ましい結果を残した。

しかし、あの栄光をもたらしたフース・ヒディンクが去ってから、これまで韓国代表を率いた監督は6名にものぼる。この現状に対し、スポーツ朝鮮のパク・サンギョン記者は「あの栄光がもたらしたのは『毒の聖杯』だった」と苦言を呈している。

「サッカー国家代表チームは、文字通り国の顔だ。プレッシャーや責任もそれだけ大きい。ある大会の結果だけで評価が決まってしまうのだから、論争も耐えない。監督は一気に名将になることもあるが、再起不能に陥ることもある。代表チームの指揮官の座には、『毒の聖杯』がついて回っている。

2000年代に入って、正式に代表チームの指揮を執ったのは、ヒディンクからチョ・グァンレまでで7名だ。平均在任期間は504日。1年6ヶ月余りしかない。しかもこの中で任期を全うできたのは3人だけ。ウンベルト・コエリョ、ヨ・ボンフレール、チョ・グァンレの3名が成績不振を理由に解任された。皆、ワールドカップを狙って招聘した監督だ。ピム・ファーベークも、表向きには辞任であるが、成績不振の責任をとった形だった。2002年の栄光以来、韓国代表監督というポストに『毒の聖杯』が用意されていると嘲笑されている。

“四強神話”は指導者にとって大きな壁となった。大きな成果があった後、高くなってしまった期待値に応えられない場面が見られる度に、鋭い批判が相次いだ。サッカー協会は、2002年以後に外殻は進化したように見える。しかし代表を運営する構造に何ら変化はなかった。選手選考を巡って技術委員会の息が掛かることもあって、監督と対立することもままあった。

2000年代に入ってから最も長く監督を務めたホ・ジョンム監督。彼の在任期間中にも紆余曲折があった。アジア三次予選の不振。そして東アジア選手権では中国に完敗。しかし、2010年のワールドカップでは、開催国で会った2002年大会を除けば初めてのベスト16入りを成し遂げたのだ。

サッカー協会の"ある関係者”は言った。『2002年当時と、その後の運営に関しては大きな差ができた。サポートのレベルやトレーニングにも大きな変化はあったが、何より基準が日韓ワールドカップに合った。しかし、視点の変化が必要だ』と」

(筆:Qoly編集部 K)

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