アンジ・マハチカラのサミュエル・エトーが2009年にローマ入りする予定だった事をFIFA公認代理人であるエルネスト・ブロンゼッティが明かした。

カメルーン代表のエトーは2009年夏にバルセロナからインテルへ移籍したが、その当時ローマも獲得を目指していたという。バルセロナはエトー売却の準備を進めており、サインする直前だったという。『コッリエレ・デッロ・スポルト』がブロンゼッティのインタビューを載せている。

「全部知ってるよ。あのミーティングをオーガナイズしたのは私なんだ。始まりは2009年の7月の初め、ちょうど7月5日の日曜日だったね。エトーはグアルディオラとの関係が壊れていたからバルセロナに残れない状況だった」

「そこで代理人を通じて私にローマへ行きたいと言ってきたんだよ。彼は私がローマと良好な関係にあることを知っていたからね。そこで、スポーツ・ディレクターのブルーノ・コンティの自宅で我々はミーティングを行ったんだ」

「私はフィウミチーノ空港まで彼の代理人であるホセ・マリア・メサジェスを迎えに行き、1時間半ほどで海を見渡せるサン・ニコラのマリーナにある邸宅に着いたよ。私が覚えているのはスパゲッティを食べたらメサジェスが気分悪くなったことだね」

「少なくとも3時間はサミュエルのローマ行きについて話しあったよ。バルセロナでのサミュエルは900万ユーロを稼いでいたが、それは諦めるしかなかった。ボーナス込みの750万ユーロまで引き下げる事になったが、コンティはためらっていたよ。2日間かけて話し合ったけどうまくいかなかった」

「ローマの結論としては、エトーの要求する給与はトッティの給与を遙かに超えるもので、ドレッシングルームのバランスを崩すということだった。個人的にはコストは全てFWに投じるべきだと言ったよ。彼が本気だったかはわからないね」

その後、エトーはズラタン・イブラヒモビッチとの交換トレードの一部としてインテルへ移籍。インテルの3冠獲得に大きく貢献した後はロシアのアンジ・マハチカラへ2500万ユーロで移籍している。

(筆:Qoly編集部 N)

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