オールド・トラッフォードは燃えているか。そんな風に有名な映画をパロディとして使いながらお洒落に尋ねられたら、「燃えていた」と答えないものはいないだろう。赤に染まったオールド・トラッフォードは、まるで全てを飲み込もうとしているように深かった。イングランド特有のチャントによって、作り出された声と熱量の壁は「白い巨人」であろうとも圧力を感じるものであったはずだ。常に冷静さを保つ知将ジョゼ・モウリーニョですら、その雰囲気には気圧されているように見えた。否、どんな監督であってもこの「赤い壁」を前に平静を保つのは簡単ではないだろう。「赤い壁」と言えば、と言ったら少し強引かもしれないが今回筆者がこのビッグゲームを見て思い浮かんだのは「赤壁の戦い」だった。孫権・劉備連合軍が数十万とも伝えられる曹操軍を撃退したこの戦は、三国志の中でも非常に有名であり、「レッドクリフ」という映画になった事でもよく知られている。どこまでが史実かは解らないものの、非常に語り継がれるエピソードが多いこの戦はマンチェスターの地でぶつかり合った両雄を想起させるところがある。
この試合で、最も重要なターニングポイントとなったのがポルトガル代表MFナニの退場であることであることは間違いない。非常に論議を生む、その判定の是非については割愛するとしてもこの試合を語る上で退場を無視する訳にはいかないだろう。その退場をしっかりと考慮した上で、今回は勝負を分けたジョゼ・モウリーニョとサー・アレックス・ファーガソンの采配について考察、分析していこう。71歳になっても全くその情熱を失わず「サー」の称号を持つだけでは満足しない「情熱」の塊でありマンチェスター・ユナイテッドを形作る伝説のような男。かたや欧州三大リーグ優勝を若くして成し遂げ、50歳で世界最高峰のクラブであるレアル・マドリードで指揮を執る「野心」の塊であり常にその冷静な判断によって時に非情な選択も厭わない男。非常にいい関係を保っていることが不思議なほどに共通点が少ない二人の名監督は、お互いによく知る間柄だからこそ相手を最大限に尊敬し、警戒を強めているかのようだった。
先に仕掛けたのはサー・アレックス・ファーガソン。「戦術的理由」でエースであるウェイン・ルーニーをレギュラーから外すと、生きる伝説ライアン・ギグスとポルトガル代表の天才WGナニをスターティングメンバーとして起用。相手の裏をかくようなメンバー構成を見せた。狙いとしては、トップ下においたダニー・ウェルベックにシャビ・アロンソをマークさせることによってレアルのパス回しを封じることだった。1stレグで行ったようなリトリートしての守備に加え、キーマンを封じることを狙ったのである。これが的中することになる。
レアルは、しっかりとボールを回しながら崩しにかかるも、サミ・ケディラや両CBからではなかなかリスクがある高いゾーンにパスを通すことが出来ない。メスト・エジルやアンヘル・ディ・マリアが引いて受けに来るしか無くなってしまうと、攻撃はかなり限定された。そこからのカウンターも機能し、前半はマンチェスター・ユナイテッドが覇権を握ったかのように見えた。
しかし、それは真実だったのだろうか。気味が悪かったのは、ジョゼ・モウリーニョと11人の白い傭兵集団の落ち着きだった。セットプレーでの若干のミスはあったものの、カウンターは水際でブロックしながら彼らは情報を集めるようにボールを運んで行った。特にフィル・ジョーンズが不在となった中盤中央で、エジルやディ・マリア、ケディラが中央でポジションチェンジを繰り返しながらどういう時にマイケル・キャリックとトム・クリバリーが出てくるのか、出てこないかを見極めていったのだ。
かつて、劉備には諸葛亮孔明という軍師が仕えていた。史実であるかは怪しい部分もあるが、「赤壁の戦い」において彼は、その地域の気候を調査する事によって風を読み、東南の風が吹くと共に火を放ち敵軍の船団に壊滅的なダメージを与えた。まるでその諸葛亮孔明のように、ジョゼ・モウリーニョは絶対の自信を持って待っているように見えた。アウェイに乗り込み、若干不利な状況あっても落ち着いて「仕掛ける最適なタイミング」を待つ事。それが出来ることに、モウリーニョという男が持つ底知れぬ知略が伺える。前半終了間際のディ・マリアの怪我に続き、後半開始早々に不運な形からオウンゴールで失点してもレアルというチームは崩れなかった。
ケディラを高い位置に押し上げ、カカやロナウドが積極的に中に入ってくる事によって中央で数的有利を作り崩しにかかったのだ。2ボランチの負担が大きくなり、ウェルベックがヘルプにいかなければならなくなった事でアロンソも自由になり始め、少しずつ風向きが変わり始める。ここでナニが危険なチャレンジと判断されて退場すると、間髪入れずに右SBであるアルベロアを下げるとモドリッチを投入。脅威を与え始めたケディラをピッチに残し、相手の混乱を誘いながら東欧が生んだパサーをピッチに送り込んだ。モウリーニョが望んでいるような形ではなかったようだが、待ちに待った風がオールド・トラッフォードに訪れたのだ。
風を待ち望んでいたレアルに対し、サー・アレックス・ファーガソンは無力だった。結果論ではあるが10人になったところに出し手を増やされてしまった時点で、2人の出し手にプレッシャーをかけながら守るしか選択は無かったはずだ。しかし、迅速に切られた手に混乱した彼は中央で潰し屋として働いていたウェルベックを外に出してギグスを中央へ配置転換してしまう。そうなると、モドリッチどころかアロンソにもプレッシャーがかからなくなってしまった。こうなると、出し手を潰す事を前提とした守備をしていたマンチェスター・ユナイテッドは手詰まりに。5バック状態になると、そのモドリッチにミドルを撃ち込まれ同点。続けざまにモドリッチを起点に、自由を得た世界屈指の前線であるエジル、イグアイン、ロナウドが華麗な連携で2点目を奪い去った。チームの大黒柱、ルーニーを投入し反撃を試みるも時既に遅し。結果論で言えば、ナニが退場したタイミングでファン・ペルシーかギグスに代えてルーニーを投入していれば風に乗って押し寄せる白い破壊者たちを食い止めることが出来たかもしれない。マンチェスターの地で、赤い悪魔の旅は皮肉にもクリスティアーノ・ロナウドのゴールで終りを告げた。
試合後、ジョゼ・モウリーニョは「The best team lost」とマンチェスター・ユナイテッドを称えた。また、「11人同士だったら勝てていなかっただろう」、「ファーガソンの戦術は非の打ちどころがなかった」とも述べている。実際、オールド・トラッフォードという地で自己犠牲をし続けたマンチェスター・ユナイテッドは素晴らしいパフォーマンスを見せ続けていたし、抜擢したギグスのパフォーマンスは圧巻だった。あのゴールが入っていれば…という場面もいくつかあった。しかし、これは本心なのだろうか。個人的な意見を言わせてもらえば、サー・アレックス・ファーガソンの仕掛けた策はレアル・マドリードを苦しめたかに見えたが、もし退場無しでモドリッチ、そしてベンゼマを送り込まれた時にマンチェスター・ユナイテッドに切る手札が残っていたとは思えない。
あくまでも仮定でしかないが、11人対11人のままだったとしてもジョゼ・モウリーニョは諸葛亮孔明のように風を呼び込んで流れを一変する準備を進めていたはずだ。駒を早いタイミングで切ってしまう、将棋で言う「味消し」にならないように待てることも監督には必要なスキルなのである。「待つ」と言えば簡単に聞こえるが、不利な状況、しかもアウェイで90分しかない試合時間を存分に使うことは非常に精神的に負担がかかる作業だ。欲を言えば、11対11でどのようにモウリーニョが策を弄し、それにマンチェスター・ユナイテッドが抗うかも気になったがモウリーニョが言うように「これがサッカー」なのである。
坐して焦らず、自らの知略と鍛え上げた選手たちだけを信じて細かい罠を設置しながらひたすら風を待ったモウリーニョに勝負の神様が微笑んだのかもしれない。オールド・トラッフォードに一陣の風が吹く時、一人の軍師が静かに立ち去って行った。相手への称賛だけを残して。
筆者名:結城 康平
プロフィール:サッカー狂、戦術オタク、ヴィオラファンで、自分にしか出来ない偏らない戦術分析を目指す。
ツイッター:@yuukikouhei
最後まで読んでいただきありがとうございます。感想などはこちらまで(@yuukikouhei)お寄せください。