◎「6+62+32、そして6は枠外」
各新聞社や通信社は普通に「史上初の100試合」と報じていますが、詳しく見ると注釈が必要です。その内容は題名の通り。これをクイズにしようとも考えたのですが……このコラムを読んで下さる方なら、もうお分かりですよね。
1930年、ウルグアイで開催された第1回W杯は予選が無く、希望した国なら無条件に出られましたが、ドイツサッカー連盟(DFB)は参加を見合わせました。ただでさえヴァイマル共和国が第一次世界大戦の敗北の重荷に苦しむ上、前年の世界恐慌が直撃した当時のドイツでは、とても南米まで代表を派遣する事は出来なかったでしょう。そもそも、この時に参加した13チームのうち、欧州勢は4カ国しかありません。
ドイツがW杯初出場で3位に入った1934年は、既にアドルフ・ヒトラーによるナチ党政権が成立していました。続く1938年の第3回フランス大会と合わせ、ナチス・ドイツ(ドイツ国、ドイツ第三帝国)時代には2度出場しています。
ドイツは1945年に第二次世界大戦で降伏し、中央政府もDFBも消滅しましたが、1949年9月に西側地域でドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立する前の7月にDFBが復活していました。しかし、FIFAがその復帰を認めたのは1952年で、戦後初の開催だった1950年の第4回ブラジル大会には参加できませんでした。1954年、次のスイス大会で新生西ドイツ代表は欧州予選でザールラントとノルウェーを抑え、本大会でも初優勝を果たしました。この辺の経緯は、1.FCザールブリュッケンの激闘を振り返った時にも少し触れました。以後、西ドイツは欧州予選を勝ち抜いて、W杯本大会に出続けます。
「UCL決勝直前コラム「ワンチャンスに賭けた男たち-歴史の狭間に浮かんだ『奇跡』」」
https://qoly.jp/2014/05/23/column-nakanishi-ucl
一方、1949年10月に成立したドイツ民主共和国(東ドイツ)では、1950年7月にドイツサッカー協会(DFV)が設立されました。西ドイツは東ドイツの建国を認めず、従来通りに「ソヴィエト占領地区」と呼んでいましたが、1952年にFIFAはDFBとDFVの加盟をともに認め、分裂が追認されました。
そして「東西ドイツ基本条約」調印で両国の政治的共存が確定した2年後、1974年には西ドイツで戦前を含めて初のW杯が開催されましたが、この時に東ドイツ代表がW杯本大会に初出場しました。1次リーグでは親善試合を含め最初で最後の対戦となった西ドイツを破り、ベスト8相当の2次リーグに進出しました。しかし、1958年の第6回スウェーデン大会から予選参加を続けた東ドイツのW杯出場はこの1度だけです。
1990年7月8日、西ドイツ代表は第14回イタリア大会で20年ぶり3度目の優勝。この時、前年11月9日のベルリンの壁開放から加速した東ドイツの崩壊は止まらず、この1週間前には通貨統合で西ドイツマルクを使うようになっていました(ザールラント州は西ドイツ編入から2年後にフランスフランから西ドイツマルクへ切り替え)。10月3日、正式に東ドイツは消滅して西ドイツに編入され、「ドイツ再統一」が完成しました。
そのため、次の1994年アメリカ大会からは「ドイツ代表」として登場し、今回のブラジル大会まで本大会で好成績を残し続けています。そして、ナチス時代(創設自体はドイツ帝国時代の1900年)から現在までこの代表チームはDFBから送られているので、1934年から2014年までの3つの代表を「ドイツ」としてまとめ、そこから外れたDFVの東ドイツ代表はここから外すのが通例となっています。
1974年大会の東ドイツの6試合を組み込んだら、ここまでの「ドイツ代表」のW杯試合数はもちろん106。前回の2010年南アフリカ大会のグループリーグ第2戦で大台到達でしたが、セルビア相手に0-1での負け試合でした。やっぱり、別枠にしておいた方がみんな幸せかも。
◎歴史的試合の直前で差し切られたカナリア
今回の大会で100試合到達が確定しているのがもう一つ、ブラジルです。ドイツのような国家消滅や組織の解散はないので、同じ領域の単一チームとしては初めての到達になります。
ブラジルは全20回のW杯本大会に全て出場している唯一の国というのは有名です。1930年は1勝1敗でグループリーグ敗退、単純トーナメント制だった1934年は1回戦でスペインに1-3で敗北でしたが、1938年は3位に入って5試合を戦いました。「マラカナンの悲劇」から始まる第二次大戦後の活躍は言うまでもないですね。ブラジルがグループリーグ(1974-82年は1次リーグ)で敗退し、戦後で唯一3試合しかできなかったのは1966年のイングランド大会、4試合目の決勝トーナメント1回戦でアルゼンチンに負けたのは1990年のイタリア大会……ね、午年でしょ?
「【コラム】2014年新春企画・「午年」から見たW杯優勝チームは?」
https://qoly.jp/2014/01/06/20851-20140106-nakanishi-column-1
1950年から1986年までW杯での最多試合記録はブラジルが持っていました。優勝とベスト16の差のせいで1990年に「ドイツ+西ドイツ」に抜かれましたが、1998年フランス大会の準優勝で再び首位に返り咲きます。
しかし、2006年ドイツ大会と前回の南アフリカ大会で続けて準々決勝敗退となったため、ブラジルは5試合ずつしかできませんでした。フェリペ・メロの乱暴行為を見逃さなかった西村主審にレッドカードを出されてオランダに1-2と敗れた試合、もし勝っていればこの大会でドイツと同じ99試合まで伸ばせていたので、今回の開幕戦が正真正銘、初の100試合達成でした。64年ぶりの自国開催での大記録は、クロアチアへの勝利にさらに花を添えたでしょう。実際には次の試合、グループリーグ最終戦のカメルーン戦がカナリア軍団の100試合目になります。
この記事を書く時、「ブラジル 100」で検索したら、日系ブラジル移民の100年記念事業がヒットしました。
1908年、初の集団移民として笠戸丸がサントスに到着してから100周年の2008年、さまざまなイベントが開催されました。国立国会図書館の公式サイトでは今でもブラジル移民の歴史を紹介するページが公開されています。この大会でも現地の日系人団体が代表チームやサポーターを暖かく迎えてくれたそうなので、それに応える試合をぜひ、ザックジャパンには今度こそ!
国立国会図書館のサイト内にある「ブラジル移民の100年」のバナー。
http://www.ndl.go.jp/brasil/