そもそもメディアの批判を貶していると捉え、非難するのはお門違いである。メディアは批判し、糾弾するために存在する、とは言いすぎかもしれないが、批判的思考を養うということがメディアの世界に入るうえでの大前提であることは周知の事実だ。これらのタイトルを書き、記事を書いた人たちは、何も本田が憎くて、日本代表全員に憤って書いたわけではない。3試合を終えたときは我々と同じく、沈痛な面持ちになる人もいれば、腹が立った人もいるだろう。

しかし、そこからどうやったら日本サッカーを変えられるのかと思いめぐらせたはずである。マスコミ業界という激務の中に身を置き、スポーツ部門を担当している人、きっと心底スポーツ、サッカーを愛している人たちである。そのうえでこの批判を繰り広げているのである。それに対し、こんな記事間違っている、書いた人日本嫌いなの?なんて言う自信は筆者にはない。

もちろん普段ワールドカップ以外でサッカーを見ない人々にとってはこのような批判の記事は到底受け入れがたいのかもしれない。日本人の国民性の中に同情心というものが多分に含まれていることも理解できる。いわゆるミーハーと言われる人々以外のコアな日本代表ファンでさえ今回の一連の紙面での批判はやりすぎだと言うかもしれない。

ザッケローニが就任してからのザックジャパンはいきなりアルゼンチンを倒し、魅力的なサッカーでアジアカップを制し、アウェイでのフランス、オランダ、ベルギー相手に素晴らしい戦いを繰り広げ、おそらくメディア、マスコミはこの4年間批判することより称賛することのほうがはるかに多かっただろう。それにも関わらずワールドカップでの失敗で手のひらを返すような批判をして、選手、監督、チームに対するリスペクトがあまりにも欠けているのではないかという意見も理解できる。

しかしブラジルなどのサッカー先進国のメディアの代表叩きはきっとこんなもんじゃないだろう。国民の数だけベストイレブンが存在すると言われているほど、国民全体のサッカーに対する関心は高い。そうなれば相対的にメディアの記事は過激なものになることは容易に理解できる。文化が違うと言えばそれまでだ。日本サッカー界のこれからの成長も知れているだろう。

日本代表を批判し、強くするのもメディアである。称賛をし、批判し、そのような手のひら返しを繰り返して、日本サッカー界を新たな高みへと押し上げる。そして4年後あるいは8年後、もっと先になるかもしれないが、新たな歴代最強の日本代表が国民に歓喜の瞬間を与えるのをメディアはじっと待っている。それがメディアのあるべき姿だと私は信じている。


筆者名:平松 凌

プロフィール:プロのフットボールライターを目指して、日々修行中。現在自分が何を書くのを得意としてるのか模索しています。自称国内屈指のバイエルンファンであり、話題に事欠かないチームに感謝してツイッターでは情報配信しています。
ツイッター: @bayernista25

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