ライアン・ギグス
「デイヴィッド・モイーズは、アレックス・ファーガソンの後釜を務めるように頼まれた時、私に電話をしてきた。選手兼コーチになってくれと頼んできた。
私はそのときUEFAプロライセンスを取るためにトルコでのU-20ワールドカップに行っていた。そして、しばらくそれについて考えた。
それは自然な移行であるのかどうか?そうではなかった。私はまだ選手として貢献したかった。プレイヤーである限り、他の何かに集中することは出来ない。
私は何のトレーニングセッションも担当しなかった。なぜなら、デイヴィッドがそれをやっていたからだ。そして、そうでなければフィル・ネヴィルかスティーヴ・ラウンドがやっていた。
また、1月以降はわずかに出番を得るだけになっていた。それは私にとって新しい経験だった。
当然ながら、40歳になっていたのだから、毎週プレーするようなことはないだろうと理解していた。しかし、私の調子は良かったし、チームが上手くやっているかと言えばそうではなかった。
これは難しいなと分かった。プロフェッショナルではあったが、それを楽しんでいたとは言い難い」
(2013年夏の補強については?)
<他記事参照>
現役引退を求めたのは誰?ギグスが明かす
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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