「スズカンの道」が作る未来?
田嶋JFA会長は「日本サッカー界におけるスポーツ科学の先駆けは浅見俊雄・現東大名誉教授によるスポーツ医科学研究会」と紹介し、浅見がJFAを離れてからその取り組みが若干弱まったので、この連携協定が新たなきっかけになると期待していました。
ところが、その後で演壇に立った浅見は「皆さんは私がこの協定を作ったとお考えでしょうが、私は何もしていません。最後にOB会長として報告があっただけですが、若い連中の旺盛な知的欲望や活動力に感じ入っています」と。
浅見は現役時代に東大ア式蹴球部で1952年の第1回大学選手権に優勝。その後も東大サッカーの中心として活動し、2010年にはサッカー殿堂にも入りましたが(私はこの時、浅見先生にお祝いと深謝を……)、この功績と連携協定はそれだけの影響力を持つ浅見ではなく、大学ではア式蹴球部に入っていなかった鈴木の功績なのが、ここからも読み取れます。
もちろん、浅見もこの連携協定を喜んでいます。「サッカーは世界で最も知的な活動が求められるスポーツ、そこに東大の資源を使う」「代表というトップだけでなく、自分でもクラブを作って始めた少年少女サッカーのような草の根にも東大の資源が使えるように、さらに(自らの専門のスポーツ医学だけでなく)経済・政治・各種理系などの学問も使えるように」と大きな期待を込め、クラブW杯決勝の2日前に「日本サッカーが世界一になるのに東大が貢献して欲しい」と結びました。
式典後、インファンティーノ会長と握手を交わす浅見・東大名誉教授。
田嶋が助教授として在職した立教には戦時中の歌謡曲、「鈴懸の径」の歌碑と、それにちなんだ並木道があるそうです。
ならば、東大が歩み始めたのは「スズカンの道」でしょう。浅見や岡野俊一郎など12人ものサッカー殿堂掲額者を持つア式蹴球部の伝統、本郷キャンパスはすぐにJFAとの往来が可能な地の利、あらゆる学部・研究科に関わる「オール東大」での支援体制という人の輪に支えられ、「主体的・自発的な他者とのコラボレーションがタフなリーダーを育てる」「偏狭な排外主義に対して『ボール一つで誰もが友達』になれる」サッカーを人材育成に使いたい、そして東大の英知で世界のサッカーに貢献したいという鈴木の希望が形となって動き出しました。
そしてその先には、「文京区からJリーグ」という東京ユナイテッドFCの野望、都内に専用スタジアムを持ちたいJFAの悲願なども絡んでくるかもしれません。
スポーツが私達の生活を変える先駆者として、この東大・JFA 連携協定の行方は注目されます。そして、鈴木と同じ「ア式蹴球部には在籍しなかったサッカーファンOB」の一人として、私も大いに期待しています。
筆者名:駒場野/中西正紀
サッカーデータベースサイト「RSSSF」の日本人メンバー。Jリーグ発足時・パソコン通信時代からのサッカーファン。FIFA.comでは日本国内開催のW杯予選で試合速報を担当中。他に歴史・鉄道・政治などで執筆を続け、「ピッチの外側」にも視野を広げる。思う事は「資料室でもサッカーは楽しめる」。
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