2000年、『Gazzetta dello Sport』内でのポートレートより。
“プリンチペ”と呼ばれ、確固たる地位を確立する。
ファビオ・カペッロ監督の元、3-4-1-2のトップ下としてプレー。2000-01シーズンにはローマにスクデットをもたらす。
日本でも中田英寿とのポジション争い、ガブリエル・バティストゥータ、カフー、ヴィンチェンツォ・モンテッラ、エメルソン、マルコ・デルヴェッキオら同僚にも注目が集まった。
当時の同僚のうちモンテッラやディ・フランチェスコらは後に敵将として立ちふさがることとなる。