今季限りでバルセロナを退団するアンドレス・イニエスタ。カンプ・ノウでのラストマッチは感動的なものになった。
そのイニエスタはJリーグに来る可能性もあるとされている。ここでは、彼の列伝ぶりをあらためて振り返ってみる。
日本で普通に地下鉄と市営バスに乗る
クラブワールドカップのために何度か来日した経験があるイニエスタ。
En bus por Yokohama con gran compañía! pic.twitter.com/qGkm9AZVbV
— Andrés Iniesta (@andresiniesta8) 2015年12月18日
2011年には地下鉄銀座線に乗り、2015年には横浜市営バスに乗車して話題に。
ワイン大好きでワイナリー設立
¡Noche de #Champions! ¡Noche de vino! ¡Vamos @andresiniesta8 ! 💪🏼#UCL #ChampionsLeague #FCBROMA pic.twitter.com/t7okhH7HBC
— Bodega Iniesta (@BodegaIniesta) 2018年4月4日
2010年、約900万ユーロ(11.7億円)を投じて故郷のアルバセテ県のフエンテアルビジャにブドウ農園とワイナリー『ボデガ・イニエスタ』を設立。
同年9月に操業を開始した。父親曰く、市場で流通する事だけを目的とせず、クオリティを高める事に賭けたとのこと。
ここぞの一撃
得点力のなさが指摘されてきたイニエスタ。だが、CLチェルシー戦での劇的ゴール、そして2010年W杯でも値千金の決勝ゴールは伝説だ。
スペインに初となるW杯優勝をもたらした後には「この感情を言い表す言葉はないよ。ゴールの後、家族と愛する全ての人達のことを思った」とその喜びを口にしていた。
友人思い
2009年、同世代で友人だったエスパニョールDFダニエル・ハルケが26歳の若さで急死。
2010年のW杯決勝で劇的なゴールを決めた際には、ユニフォームを脱いで「ダニ・ハルケ、ずっと僕らと一緒だ」との彼に捧げるメッセージを書いたシャツを見せた。
また、カンプ・ノウで行われた自らのバルサラストマッチにはハルケの遺族も招待したそう。