父親が戦争中に殺されてしまった。それから自分がどれほど大きな影響を受けたのか、あとで分かってきた。
私は荷物を詰め込んで、ドバイへ行った。そしてエンジニアになった。
イングランドに来た時、英語を学ぶこと、エンジニアとしての仕事を探すのが目的だった。
しかしすぐに私は見つけたんだ。自分の心は、まだサッカーの鼓動を宿しているとね。
僕はケンブリッジ・ユナイテッドのサッカースクールに行って、コーチングの仕事を探した。そのほうがいい仕事だと気づいたからね。
地域のサッカー協会にも連絡した。なぜなら、クラブを探すのに苦しんでいたからね。ネットも持っていなかったから。
たくさん電話をかけたよ。でもなかなかチャンスをくれる人はいなかった。ただもう扉は開いたから、その苦しさを振り返ることはないよ。
ゲームに戻れたことを嬉しく思う。この賞を受け取ることができて非常に光栄だ。自分が何をしているのか、改めて気づかせてくれるよ。
ボットン・ユナイテッドで新たな章を始められることに興奮している。自分はやれるというところを見せたいと思っている。楽しみにしているよ」
現在はUEFA Bライセンスを所有しているアル・ハーティブ。来月Aライセンスを取得するためのFAの研修を受ける予定となっている。
各地でこのような指導者が現れるところも、さすがサッカーの母国の奥深さ。行動を起こしたものには必ずチャンスが訪れるということを教えてくれるエピソードだ。