━━ただ、書籍『PITCH LEVEL』の中でも書かれていましたが、元々は岩政選手も「サッカー選手一本派」だったようですね。

岩政
そうですね。それが岡山にいた頃から徐々に変わっていきました。引退ということを考える中で、「既に今もけっこう時間があるな」と思うようになったんです。

それで、具体的に「何かやったぞ」というものを残したいなと思って…。ただ、やはり、やれることは限られていて、その一つが書くことでした。

あ、でも…。

━━━でも…?

岩政
料理教室とかも行きましたよ(笑)

能登
その料理教室の話は僕も初耳です(笑)

岩政
引退した時に料理ができるようになっているほうがいいなーと考えたんです。料理はちゃんと自分のものとして残るものであり、子供が大きくなったらお弁当とかも作れますからね。

その他にも英語とかも勉強しにいきました。きっかけが欲しいなと考えるよりも、まずは自分の足を動かそうと。なので、岡山に行ってからの二年間はけっこう色々とやりましたよ。

そして、書き溜めていたコラムが書籍の話となり、東京に来てからは解説業も始めることができました。

これも僕の中での一つの流れだったなと思っています。

━━「まずは自分の足を動かそう」という考え方は能登選手にも通じる点があるのでは?

能登
自分の場合は、「指輪を作ってみました!」とマネージャーさんに見せたら、「マサ、これ何で売らないの?」という反応が返ってきたところがきっかけになりました。自分が欲しかったんで作ってみただけだったんですけどね(笑)

今、実家はピザ屋と和食屋をやっていますが、元々、父親はヴェネチアングラスや陶器を作る人間で、母親も絵を描いていた。

なので、そういう環境で育ったからこそ、ゼロから物を作るということがそもそも好きだったのかもしれません。

後は「何でもやってみよう」というのが僕の基本スタンスで、一回ダメでも二回ダメでも続けていればいつかものになるだろうという考えを持っていたことも大きい気がしています。