2006年のワールドカップに出場したイラン。アジア屈指の強豪チームであり、長年その地位を維持している。

多くの名選手を生み出していた国であるが、2010年の南アフリカ大会には出場を逃しており、アジアカップでは2004年大会以来ベスト4進出がなかったチームでもある。

どうしてイランはそこから「アジアで最もFIFAランキングが高い国」に上り詰めたのか?

長期政権と段階的強化

2006年のワールドカップを終えた後、低迷を余儀なくされてしまったイラン。

アリ・ダエイが現役を引退し、マハダヴィキアやアリ・カリミ、ヴァヒド・ハシェミアンらがピークを超え、得意としていた速攻からのサイドアタックが効果を発揮しなくなっていった。

また、イランは国内リーグのチームに向こう見ずな傾向が強く、あまりにも攻撃的なサイドバックの多さ、ペース配分が出来ないムラの大きさも邪魔をしていた。

アリ・ダエイ体制、アフシン・ゴトビ体制で「重要なところで勝てない」チームになってしまったところで、2011年に就任したのがカルロス・ケイロス現監督だ。