FC町田ゼルビアや栃木SC、AC長野パルセイロなどで活躍し、Jリーグファンに愛された勝又慶典。14年のプロサッカー選手人生を終えることを決断した。

スピード豊かなドリブル、重要なところでゴールを奪う得点力、そして特徴的なスキンヘッドのルックス。その存在は非常に強烈であった。

長野パルセイロを離れてからは関西リーグのおこしやす京都ACで2年間を過ごし、そして2021年はJFLのFC刈谷でプレー。シーズン終了後に退団が発表され、1月9日に現役引退の決断がアナウンスされた。

その次の日だった。筆者が取材でたけびしスタジアムを訪れたところ、そこで偶然勝又慶典氏と再会。この機会を逃すまいと、キャリアを振り返るロングインタビューを行わせていただいた。(取材日:1月10日)

――先日現役を引退発表された勝又慶典選手にお越しいただきました。FC刈谷から退団のアナウンスがあってからしばらく時間があっての発表でしたが、決断のきっかけを教えていただけますか?

引退を決めて臨んだ年でもなかったですし、まだまだ体もやれるなと思ってた状態でした。そこからいろいろ自分なりに模索して、いろんな人と話して、自分が納得できる時に決断をさせてもらいました。

――刈谷では地域リーグに降格するという悔しいシーズンにはなりましたけれども、昨年を統括すると?

「厳しかった」というのが、一言で言えばあります。結果はそうでしたが、僕個人としてはなかなかヒリついたシーズンができました。勝ち負けは水物ですが、サッカーを本気で全力で、ギリギリの戦いを常にして。楽しかったです。