現在アーセナルで監督を務めているミケル・アルテタ氏。彼は選手として2016年まで同クラブでプレーしていたことで知られる。

しかしその2016年夏に現役を引退すると、ジョゼップ・グアルディオラ監督が就任したマンチェスター・シティのアシスタントコーチに抜擢された。

そして多くのタイトル獲得に貢献したあと、2019年にウナイ・エメリ氏を解任したアーセナルへと監督として復帰している。

今回『Sky』で解説者を務めるジェイミー・キャラガー氏のインタビューに応えたアルテタ監督は、その時のことについて以下のように話したという。

ミケル・アルテタ

「私が15歳のときにグアルディオラと初めて会った。彼は私のアイドルだったし、お手本にしていた人物だった。バルセロナのトップチームでプレーするために、真似をした選手の一人だ。それから関係を作り上げていった。

そして、彼がバルセロナやバイエルン・ミュンヘンで監督をしているとき、まだ選手であった私によく電話をかけてきた。イングランドのチームはどんなプレーをするのか尋ねられたよ。

そしてある日、彼は言った。『イングランドに来た日、私は夢を抱いた。バルセロナで得たような成功を、このリーグでも成し遂げたいと。誰もが不可能だと言っていた成功をだ。その夢を実現するために、君の経験による助けが欲しい』と。

難しい決断だったよ。アーセナルには愛着があったし、そこで仕事をすることもできたし、役に立てると思っていたからね。

しかし、何年も前からグアルディオラと積み上げてきた関係があったし、自分にとって正しいステップであると思った。

とはいえ不安もあった。だから彼には『私はまだコーチをしたことがないのに、世界で最高レベルのクラブに行って、あなたが期待するようなことができるのか?』と聞いた。ただ、彼は本当に強い確信を持っていたから、それに応えることに決めた。

それが可能だったのは、グアルディオラがとても協力的だったからだ。最初から多くの責任を与えてくれた。最初はとにかく話を聞くことに集中したよ。

選手たちのおかげでもあったよ。素晴らしいグループだったし、私を歓迎してくれたし、信頼を築くことができたからね。

初年度は無冠だったが、チームは正しい方向に向かっていた。ただ多くのものを変更する必要があった。イングランドサッカーの文化やレフェリーへの対応、メディアの仕組みを学ぶ必要があった。私はあの国で生活していたから、よく知っていた。

いくつかのことはイングランドの文化に対立するものもあったから、その壁を壊すには時間がかかる。しかしグアルディオラは非常に決意があり、明確で、集中力があり、信念を持っている。

最初の1年は簡単ではなかったが、我々が導入したプロセスやそれぞれの役割、そしてコーチングスタッフの明晰さが助けになった」

【写真】 「グアルディオラ監督が昇格させたバルセロナB、最後のスタメン」はこの11名

グアルディオラ監督はイングランドのサッカーを熟知しているアルテタ氏の経験を非常に高く評価していたようだ。

【厳選Qoly】なぜ?日本代表、2024年に一度も呼ばれなかった5名

ラッシュフォードの私服がやばい