今季限りで現役を引退した元日本代表MF中村俊輔。44歳になった彼は今後、横浜FCでコーチを務めることになる。
その俊輔がDAZNで配信されている「やべっちスタジアム」に出演。
長年、日本の10番に君臨した俊輔だが、2010年のワールドカップでは本大会直前にスタメンから控えに降格する経験も味わった。
矢部浩之さんから「地獄だった」と話していたと聞かれると、「あぁ、そうですね(笑)一番きつかった…期間も1カ月あるので」と当時を振り返った。
「チームが4-1-4-1で堅守速攻みたいな感じになった時、明らかに僕は置いていかれたって感じはありましたし。怪我のリハビリもしてたので。
でも、僕なりにもがきましたけど。午前中の練習の時に岡田さん(監督)に午後に練習していいかって聞いて、やらしてもらったり。
自分が中心で10番をつけてやってたにもかかわらず、ベンチになった時にチームの雰囲気をいい方向に持っていかなきゃいけない。
そのメンタルがきつかったですけど、逆に今までアジアカップの時とかに松さん(松田直樹)とか三浦淳寛さんとかが冷たいタオルを絞ったり、紅白戦をしっかりやってくれて…。
それは伝統じゃないですけど、引き継ぐ感じで、一生懸命やったつもりですけど。
(現地で練習を見ていた矢部さんから、最後まで練習を蹴っていたのが俊輔だったと言われると)
それはストレスですね!…(笑)
そしたら、大会中に岡崎(慎司)が来て、森本(貴幸)が来て、楢さん(楢﨑正剛)と(川口)能活さんがゴールを守ってくれて…そういう感じになったのを、今度はスタメン組が見てるじゃないですか。
段々段々、何ともいえない団結というか…大会内で出来ることってあるんで。
(自分的には)そういうつもりではやってないですけど、ただ俺はストレスで蹴っているだけ!(笑)」
10番ながら控えになったことは精神的にきつかったという。それでも、これまで控えとして支えてくれた先輩たちを見習って、支える側に回ったとのこと。
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練習でボールを最後まで蹴っていたのは、自分の状況に対するストレスだったと冗談交じりに話しつつ、控え組とスタメン組にいい一体感が生まれていたとも明かしていた。